今日の小説まとめ
一ちゃんと副長でお菓子をあげる話/
「ちょっとノッブ、それ私のです、私の!」
「よいではないか、ずっと食べずに置いてあったのだし」
「楽しみだから取ってたんです! 食べ物の恨みは怖いんですよ」
わかってるんですかと叫ぶ沖田ちゃんに、いっそ清々しいほどに開き直ってる信長公。二人ともあんなに笑えるんだね、年相応の女の子みたいになんてしみじみしているとゴフっと絶妙にいやな咳の音がした。
サーヴァントは人間とは違うのだが、それでも吐血したら誰でも驚く。対処したほうがいいかと席を立とうとしかけた直後、おーい医者を呼んでくれと、茶のおかわりでも所望するような声で言う相手を見て再度席に着く。対応してる相手が慣れているようなら、任せちゃってもいいだろう。颯爽と駆け寄って行ったナイチンゲールさんに対し、待ってくださいと叫ぶ沖田ちゃんを見るに、どうやら軽傷で済みそうだしね。
昼食には遅い時間だけど食堂に人が多い、それは各自に理由があってのこと、仕事でお昼を食べ損ねていたからとか、少し早いおやつのためだとか。声が途切れない場所っていうのは賑やかでいいかもしれないけど、少しゆっくりしたいときは勘弁願いたいなあ。
ちなみに僕は仕事で食べ損ねた口だ、夕飯は軽くするか時間を遅くするかのどちらかにしたほうがいいかな、などと考えていたら無言で前の席を陣取る影。
「なんですか副長」
見たところ昼飯ってわけでも、おやつを貰いに来たわけでもなさそうだけど、いや沢庵と緑茶を持ってるからこれがおやつってことか、相当に好きだよねこの人。
「斎藤、口開けろ」
「はい?」
なんのためにと首を傾げると、いいからしろと無言の圧が怖い。どうせ石田散薬か目の前の沢庵を分けてくれるか、そのどちらかだろう。まあ気遣いならありがたく受け取っておこう。
遠慮しつつも口を開けたところ、その中ヘポンとなにか塊を突っこまれた。薬独特の苦味や香りもなく、かつ漬物の酸っぱさのような物でもない、というか一口で頬張れるような物じゃないし、なんだこれと思いとりあえずかじってみれば、舌に触れたのはやけに甘ったるい物体だった。
「なんですこれ、菓子ですか?」
「そこでマシュの嬢ちゃんに貰ったが、俺には甘すぎる。残りはおまえにやる」
なら最初からそう言ってくださいよ、と口に放りこまれた菓子を頬張る。口当たりの軽い皮から中に挟まったクリームまで、全てが甘い。決してまずいわけではないものの、一個でも胸焼けしそうな味だ、食感としては最中に近いんだけど、西洋のお菓子ってのはなんか食べ慣れないね。
「美味いか?」
「まあそこそこ、美味いですよ。好みはありそうですけど」
そうかとつぶやき目の前で沢庵を頬張りだす、ああこれ甘さに耐えかねて沢庵で口直ししに来たんだな。
「ここはどうだ?」
「まあ慣れてきました」
できれば敵対エネミーは人型のほうがいいけど、まあハニワを倒していたのを考えると、まだ怪物でも生き物なだけマシか。
「カルデアもおっかなビックリすること多いですけど、奇天烈な人たちも多いし」
というかここにも鬼やら悪魔やら怪異が多すぎる、剣が通用するならいいけど、なんというか対峙したときにこれ本当に斬れるのかと疑問に思うこともままある。
「その内慣れる、あとおまえならなんでも斬れる」
「はは、期待に応えられるよう頑張りますよ」
とはいえ口に押しこまれた菓子には既に負けそう、甘みの方向性が違って舌がビックリしてる。なんとか最後の一口を放りこみ少し冷めたお茶で味を洗い流す。
すみませんが沢庵一個もらえませんとたずねると、しばらく沈黙してまあいいぞと半分開いてた口へ放りこまれる。
「あの、箸もあるし、自分で取るんで」
「食えればいいだろ」
そういう問題じゃないんですけど。あと周りの視線が痛いです副長、あんまりこういうの人前でしないでくださいよ。
一ちゃんと生前の新選組と紅葉の話
頭上を覆い尽くす枝には、子供の手ほどの大きさの紅葉の葉が揺れている。陽の光を透かして赤々と燃えるように、あるいは目の前にある川へ落ち、流れのままに伝いこぼれていく。
見事なもんでしょう、と女が声をかけてきた。ここの紅葉は毎年ようけ人がこられます、どこよりも赤いと言われてますんよと。
声色こそ優しく取り繕ってくれてはいるけども、まあ歓迎されてないんだろうなあと思いつつ、そうですかと笑って返す。
「紅葉が川に流れていくさまは、まさに晴れ着のようやって」
そりゃ紅葉の名所はどこでもそう言うさ、京に限ったことじゃない。それに娘さんの晴れ着なんて綺麗なものには到底見えない、色づき始めの黄色い葉ならともかく、ここの葉はやけに赤みが深く、いっそ毒々しいまでの色合いへ変じている。風に揺らされて川へと散りゆくさまなんて、刀身を受けて散る鮮血そのものだ。
ぽたりと枝から落ちていく一枚が折り重なり、川へ落ちて血の流れとなる。痛々しいと感じても、その苦味は噛んで耐えるものだ。
綺麗でしょうと微笑んでいた彼女が、白い首まで汚すほどに血を吐いて事切れたとしても、そうするために信頼をえてきたんだからと、歯を食いしばる。
「ひでえ顔してやがる」
「沖田ちゃんのほうがヒドイでしょ、いいから行ってあげてくださいよ。僕はこういうの慣れてるんで」
自然に見えるよう笑いながら返すと、そうかとだけつぶやき、きびすを返して行ってしまった。
各々に迷いがあったのは理解できる、この決断に前向きだったのは土方さんだけなんだろうけど、当人は顔色一つ変えてない。強靭なまでの精神力の持ち主っていうのかね。
なにをしても新選組を守るっていうのは胸にあるんだろう、そのために不要なものをどう断ち切って、それをもって団結すべしと。
だからといって、屋敷の中にいる彼に加担する者、または姿を目撃した者は有無を言わさず殺せという。わずかながらも血が流れ、多大な痛みを僕たちに刻みつけた。手負いの者は出てないはずなのに、なんだか釈然とはしない、後引く痛みが続くような。
それは少女から笑顔を消し去り、上に立つ物を更に掟で縛りつけるほうに動いた。そうでもして守るべきものがあるからだ。
そこからも僕は、どこも変わった気がしない。
昔からそう、変化も新しいことも大好きだけど、その変わりに一つのものへの執着があまりない。いつもヘラヘラしてて信条もなにもないのか、と沖田ちゃんには語気も荒く指摘されたこともしばしば。実際そのとおりだし反論する気はないけど、なんだかね。
秋風が吹く街中を副長の供としてついて歩いていると、おいと声をかけられた。
「休憩していくか」
「いいんですか、じゃあお団子でもいただきましょう」
「沖田みたいなこと言いやがる」
別にいいじゃないですか、野郎が食べたって怒られるもんでもないでしょう。そう言いながら店へ入り注文すると、お茶を手に腕を組んで座る副長の隣まで戻る。
「なに考えてるんです」
俳句でも思いつきましたと聞けば、じろりと睨みつけられる。ふざけるのはあまり好ましくないようなので、黙ってお茶をすすることにした。
紅葉の枝がこちらへと腕を伸ばしていた、相変わらず京の町は騒がしいし赤い色は江戸よりも深い。年々、血のように濃く育っていくような気がするのだ。
「おまえ、桜と楓はどっちが好みだ?」
「そりゃ断然、桜でしょう」
「なんでだ?」
「だって血みたいな色してるでしょ、木をまで痛みを感じたくないもんで」
「そうか」
じゃあ次は桜の季節に来るかと言うので、覚えててもらえると嬉しいですと返す。
「ああでも、桜餅は江戸のやつのだったら嬉しいですね。こっちのも不味くはないんですけど、久しく食べてないもんで」
土斎と寝たばこを注意する話
「寝タバコはよくないですよ」
すぐ終わると言うけれど、そうやって寝所にタバコを持ちこむから火事になるのだ。原因がわかってるんなら、取り除くのも大事だろう。
「いくら僕でも、火にあぶられるのはいやです」
「俺も勘弁願う」
行灯の光に照らし出された横顔は様になっているけれど、悪習慣を看過するわけにもいかないので、早く休んでくださいよと返す。
「もう終わるから待て」
「ちゃんと消してくださいよ」
わかってると煙を吐き出す、甘い香りがついたタバコだ。それなりに上等な品なんだろう、あんまり移さないでくださいね、髪やらなんやら隠れるときには困る。人斬りの中には鼻が効く奴がいるんですよ、犬みたいに、気づかれて噛みつかれたら厄介なんで。
へえと言う顔は面白がっている、他に理由があるんじゃないかって思ってんでしょ。
「隊士の中にも鼻が効くのはいるんで、あんまり勘繰られたくないでしょ」
もっと直接的に指摘してやれば、別に俺は困らねえよむしろ好都合なんじゃないか、と言う。なにが好都合なんですか、俺からすればあんたにこれ以上よからぬ噂が立つのも、陰口を叩かれるのを黙って聞くのもいやなわけ。
隊内の不穏分子をあぶり出すのに、酔っ払いのたわごとにつき合わされる身にもなってくださいよ。そのたびに、俺も槍玉にあげられるわけ。酒が入ると遠慮がなくなる馬鹿者がそれなりにいる、まあ下級隊士ならあとでよく灸を据えることにし、見てみぬ振りをするわけだけど。そういうときの男所帯は厄介だ「実際に副長とはどんな仲なんです」と面白おかしく聞いてくるんだ、無礼講の意味を履き違えるなよと苦笑いしながら受け流してる。
そうしてずっと聞き流し続けられるか、わからないでしょう。
「バラしたところで痛くも痒くもねえ、おまえが手元に居てくれんならな」
「やめてくださいよ。そんなことしようもんなら、京の女から殺されちゃうでしょ」
自分がどれだけ人気か知ってます、新選組の鬼の副長とくれば震えあがってもおかしくないのに、渋くていい、硬派そうでいい、通りを歩けばこそこそと時にははばからずに黄色い声が飛ぶ。あれが噂の新選組かと。
「別に嫁さんを貰う予定は、まだないからな」
「いつまでも独り身ってわけにはいかないでしょう、近藤さんと同じく、早いとこ身を固めてくださいよ」
選り取りみどりでしょうあんた。
「そうなったら、おまえ困るだろう」
「別に、そんなことないですよ」
この関係はなんだったか、どこから始まったのか。副長はどうせ覚えてないでしょう、忘れてくれて結構ですし、寝る前の一服のように口寂しさを慰めてくれる程度の、煙に乗って消える関係でいいんです。後生大事にとっておけるほどいいもんでもないし、刀で簡単に斬り裂ける体ですし。
「怒ってるのか」
「いいえ、明日も市中の見回りがあるのに、無理させんじゃねえとか思ってませんよ」
「相当に怒ってるな」
仕事が終われば飲みにでも連れてってやるよと、言うけれど。そんなもんで機嫌を取れると思ってるならお安いことで。
まあそれでいいんです、あなたのそばは熱くて息苦しくて、煙と血と噂の入り混じった匂いがしますけど居心地はいいもんですから、まだそばに居ようとは思いますよ。
土斎または土←斎で想いが強すぎる話。
髪を切った、長いのは時代にそぐわないと言われたから、まあそんなもんかと理髪師に頼んで小ざっぱりと短くしてもらった。癖がついてうねっていた髪も、これくらい短くすればわからなくなる。
こんな真っ直ぐになるものなんだなあと、我ながら不思議に思う。
最後に見たあの人と同じくらいの長さになって、しばらく違和感がぬぐえなかったものの、慣れてくると意外と悪くないもんだ、なにより手入れが楽でね。こんなだったら僕もさっさと切ればよかったなあ。
ただ寂しくもある、短い髪をつまんでみると色素の薄いゴワついた短い男の髪がある、こんなんじゃ撫でてくれないでしょう。
「そんな撫でて楽しいですか」
そこらの遊女と違って、大して手入れもしてないからゴワついてるでしょと言っても撫でる手は止まらなかった。でかい猫みたいで気持ちいいんだよと言う顔が、心なしか少し柔らかかったから、やめてくださいよとはね除ける手も声も、本気になれなかったのだ。
「おまえの髪は手触りがいいんだ、柔らかくて」
「そうですか」
でもその髪はない、ふとした瞬間に思い返してはもういらないんだよと言い聞かせる。
詰襟の制服は息苦しい、そもそも洋装自体がどうにも性に合わないと思う。
まあ必要だから身につけるけど、どうにも気になって首回りをいじってしまう。そんな人は思っている意外に多く息がつまるようだって同僚も苦笑いしていた。
動きやすいというのはそうかもしれない、通りを行く人間を見るに着こなしている者もいれば、圧倒的に着られている者もいる。僕は絶対に後者だろう、あの人みたいに容姿には自信がないもんだから、形だけ整えて見れたもんじゃない。
でも制服なんて所詮は所属を示すものだ、どこぞの誰なのかが一目でわかるなら似合ってなかろうと充分でしょ。
「浅葱色ってのは流石に目立ちますよ」
鮮やかさが違いますもんと言うと、それでいいんだろうがと副長は返す。
天下のお役に立とうってんだ、逃げも隠れもする必要はないだろう。
「そうかもしれませんけど、市中の見回りまでこの格好で行かなくても」
怪しい奴をみつけても、捕縛する前に逃げられかねない。あまりにも遠目に目立つんだから、どこに居てもあいつは新選組だって指さされる。
「僕は慣れませんよ、こそこそする癖がついてるもんで」
「堂々と胸張って歩けばいいだろ、そのための新選組だ」
せっかくの剣が泣くぞと言う、本気ではないんだろう笑っていたから。まあこの羽織も悪くないかと思ったのだ。
「藤田、そっちはどうだ」
「異常ありません」
では持ち場に戻れと言う上官に従う。藤田五郎が今の僕の名前だ、本名なんてどうでもいいものだった、今も昔も、人生の転機で名を変えては生き延びてきた卑怯者が僕だ。
武士の風上にも置けぬ、人斬りと同じだと罵られてもたぶん言い返すことはできない。まあそに武士って存在が国からまるっと一掃されちゃったから、どうか許してほしい。
剣の腕が立つことは、まだこの時代でも役に立った。いかに新式の武器を携えても、扱うのに慣れない者たちはまともに戦場に立てず、かつ剣しか知らないような武士は結局は武力を使う場所でしか生きれない、違う在りかたを知らない、だから軍人になるか、警官になるかの違いだろう。
なんも変わらないです副長、あんたが生きてたころから。なのに、新選組はもうなくて、あんたも遠くに行っちまってさ、なんもかんも変わってしまったように感じる。
でもふとした拍子に、呼ばれている気がするんだ。今はもう捨てた名前を、一文字も合っていない名前を、今も覚えてくれている身近な人なんているんだろうか。
「おい斎藤、まだ首は繋がってるんだろうな」
「僕がそんな簡単に死ぬと思います?」
これくらいなんでもないですよと血塗れになっても笑えば、それでいいと表情を変えずに土方さんは剣を握ってた。
狂ってんだなというのは自分でもわかる、命のやりとりしてるときにああ生きてるなあと薄っすらと心の底で思っているんだから、気狂いだと疑われても仕方ない。
年々弱くなってるんですよ。剣の腕じゃなく、人としての在りかたが。
あんたが居なくなってから、死ぬまでやってろって言い捨てて戦場を去ったあのときから、ゆっくりと指先から死んでいってるようなんです「斎藤一」って人間が。
手紙を書いた、誰にも出さない手紙だった。あなたが死んでしまったから、いよいよ日の目を見ることがない斎藤一の手紙だ、きっとつまらないとまとめて片づけられるだけ。
ならできる限り女々しいことも書いてやろう、男らしくなかろうと思ったことを全どう足掻こうと死人に口なし、あんたと交わせる言葉は土の中に吸いこまれてく一方だから、まあせめて墨に吸わせるほうが片づけもできていいでしょう。
あの世から笑いたければ笑ってくださいよ、ねえ豪快に笑い飛ばしてください。こんな弱気な奴は知らないと、叱りつけてくださいよ。
いや、どうせ死んだらあんたのとこ行くでしょうから、それまで待ってくれますか。
土斎と沖田さんで、つき合ってるのかつき合ってないのか話
「ええっ! 斎藤さん、まだ土方さんとつき合ってなかったんですか?」
「まだってなによ、僕と副長はもとよりそんな仲じゃないでしょ」
そもそもどっちも男でしょなに言ってんのと返せば、そういう問題じゃないですよと頰を膨らませて沖田ちゃんは返す。死後に再会するっていうのが、まさかこんな形になろうとは思わなかったけれど、サーヴァントとして限界してしばらく、すっかりいい顔になった彼女にどうもペースを掴まれつつある。
「でもほとんど公認でつき合ってたようなものでしょ」
「あのねえ、僕これでも妻帯者だし子持ちなの」
きみたちが死んだ後のこととはいえ、そもそも結ばれるわけないでしょと指摘すれば、それはそれこれはこれですと言われる。
ええい言葉が通じない、まさか酒でも入ってるんじゃなかろうか。
「妻帯者って言っても、それ新選組を抜けた後の話でしょ。新選組で呼ばれたサーヴァントなら、その当時の感情基準で考えてもいいじゃないですか」
「当時の感情ってねえ、僕らなにもなかったから」
「嘘ですね、どっちもめちゃくちゃ好き合ってたの知ってますよ」
こんな美少女を前にして、失礼な話ですけどと更にのたまうので、はいはい元気がいいのはいいけど、精神汚染されてないか確認したほうがいいかなと心の中だけでつぶやく。もう本気で返事をすることは諦め、目の前に置いてあった団子を頬張る。みたらしの甘じょっぱい蜜をお茶で流しこんでいると、えっ好きですよね、土方さんのこと好きですよねとまだ食い下がる。
「沖田ちゃん、そういう女の子らしい話に憧れがあるのはいいことだと思うから、できればマスターちゃんやマシュちゃんとしてきなよ。こんなおっさんになった僕を捕まえてする話じゃないから」
「もう、そうじゃないです。せっかく再会したのに、あまりにも二人になんにもないので、沖田さんは心配してるんですよ」
それはそのまんま、きみが考えるようなことがないからだってと返すと、そんな嘘はもう充分ですからと返される。
「なんでそこまで固執するのさ、野郎同士の恋愛なんて、女の子が喜ぶものでもないでしょう」
「つき合ってないとおかしいから、指摘してるんですよ」
だってやることやってたでしょと言われた瞬間に、飲みかけたお茶を噴き出した。ちょっと汚いですよと言うけど、きみのほうがヤバいことしてるからね、器官に入ってむせているため指摘するにもできないんだけど。
「真昼間から、しかも女の子が、そういうこと言うのよくないと思う」
「別にいいじゃないですか、他に聞いてる人がいるわけでもなし」
「いや食堂だからねここ、普通に人いるから」
実際に何人かこっち見てるよね、黒髪の女性があなやって小さく叫んでたの聞き逃してないから。
「なんども言うけど、副長とはなんもなかったからね、これは本当に」
「俺がなんだって?」
なんで急に現れるんですこの人、とてつもなくタイミングでさ。
「ああいやなんでも、昔の変な噂を沖田ちゃんがまだ信じてたから、訂正してただけで」
「へえ、どんな噂だ」
「土方さんと斎藤さんがつき合ってなかった件です」
そこ元気よく答えなくていいから、そして副長も真面目に取り合わなくていいから、今日のこの子やっぱりちょっとおかしいんで、後で医務室に連れていかないとと固く決心する。
「はあ、沖田なに言ってやがる」
ああ珍しくまともに副長がツッコンでくれるのか、よかった胃に穴が開く前に退散してしまおう、そう思った矢先にこいつは昔から俺のもんだろうがと言う。
「はい?」
「あ?」
何かが根本的におかしい、なんでだろう、僕最初に言ったけど女房と子供がいるんですよ。それがどこをまかり間違えて、新選組の副長と三番隊隊長ができてるなんて言われなきゃいけないんです。
悪い夢なら覚めてくれないかなあ。
土斎で、誘ってるのか誘ってないのかの話
いい気分に浸れる酔いが体を包んでいる、体温があがって夜風が撫でていくのがまた心地いい。すでに住み慣れた母屋に着いて、さて部屋に帰ろうかと思ったけれど、酒に頭が侵食されていたからか、副長のところ寄って戻ろう、なんて普段は考えないようなことをしてしまった。
部屋の戸の前に来ると誰だと中から声がかけらる、おお流石に人の気配には敏感だと面白がりつつ、僕です斎藤ですと返せば、しばらくしてから入れと言われた。
「はーい、お邪魔します」
笑ってたのはそこまで、部屋の戸を開けて中に入った瞬間に甘ったるい白粉と香の匂いが全身を包む、おっとこれはと思いつつも自分から突撃しておいて帰るわけにもいかないし、こちらに背を向けて書き物をし続けてる部屋の主に近づき、随分と楽しいことしてたんですねえと声をかけてみれば、振り返り僕の顔をじっと見てくる。
「おまえも、上機嫌だな」
「そんなふうに見えますか?」
ならよかったと言うと、今日はどこ行ってたとすかさず返される。どこでもいいじゃないですか、野郎だらけの酒盛りですよと言うと黙って睨みつけられた。
「副長こそ、どんな楽しいとこ行ってたんです?」
「遊里だが?」
「隠さないんですね」
おまえ相手に隠してどうすると言うので、それもそうだと笑う。心底面白くないけれど、まあ顔面だけは愉快にできるのが僕なんで。
「馴染みの人がいるんでしょう、なんでも副長にぞっこんで、たくさんの文を届けさてるとか」
羨ましいなあと言えば、なにがだと厳しい声が飛ぶ。
「はい?」
「俺が羨ましいのか、それとも遊女のほうか」
どっちだと真剣な顔が迫る、さてどちらでしょうねえとシラを切るつもりだったんだけど、逃げる暇もなく相手の腕に捕まって畳に押し倒されてた。
「なんです、まだ足りないんです?」
「おまえが飲み歩いてるのが悪い」
ええ僕のせいですかと笑おうとして、なにをやけになってんだと一喝された。
「別に、そんなことないですよ、上機嫌だったでしょ」
「そうだ、俺の部屋に来るまではな」
そんなにこの匂いが嫌いかと聞かれると、別にそんなことは言いませんよと返す。男なら色に溺れたいときだってあるでしょう、責められるもんじゃないですし。僕は興味ないですよ。
「相変わらず素直じゃねえ」
「なんです、女の匂いなんかつけてて、ヘソ曲げてるって言いたいんですか?」
そのとおりじゃねえかと言うので、なわけないでしょと呆れてため息を吐けば、抱いてほしくて部屋に来た奴がなに言ってやがる、とまた直球で返って来るもんだから思わず噴き出してしまった。
「違いますって、副長の顔でも見て寝よって思っただけです」
熱烈にあんたのこと慕ってる遊女とは違うんで、と腕の中から逃げようとしたものの、しっかりと縫いとめられてて動きそうにない。
「わざわざ酔っていい気分のときに、俺のとこになんで来た」
「酩酊してたから、意味もなく、顔見に来たんですよ」
「いくら酔ってようが、夜更けに無防備に部屋へ来て、どうなるかわかってたろ」
そのうえで来てるんなら、こっちは遠慮しねえぞと着物の隙間に手を差し入れられるので、確かに期待はしましたよと慌ててつけ加える。
「でもねえ、せっかくお楽しみだった後に男抱くは、流石に興醒めでしょう?」
お互いにいい気分のまんま寝ましょうよ、と徐々に降りていってた手を牽制するも、せっかく来たんなら楽しませてやろうという気持ちくらいはあると、更に進めて行こうとする。
「ちょっと、やめてくださいよ」
「なんだよ誘っておいて」
「気分じゃなくなったったんですってば、その気もないのに、犯されるのはごめんですから」
ほら早く退いてくださいと腕を叩けば、いやだと即刻断られる。副長相手じゃなかったら、首でも締めて逃げ出すところなんだけど、そういう強引な手に出られないし、そうなる前に殺気を感じたら逃げられちゃうからなあ。
うーんどうやってこの馬鹿力から解放してもらおう、なんて迫る身の危険を考えていたところで、耳元に口を寄せられ低い声で名前を呼ばれた。
背筋をぞくりと期待が走る、この色男わざとやってる。それがわかっていながらも、逃げ出そうとする気が少し削がれたのは確か。
「なあ斎藤、素直になれば甘やかしてやるぞ」
「僕なんかが甘えても、可愛いもへったくれもないでしょう」
そんなことないぞと真顔で言うので、正気ですかと聞き返す。あんたにお熱の美人になんて、遠く及ばないでしょう。
「見てくれの話じゃねえ。まあ、てめえは顔もいいほうだが、気分次第で擦り寄ってくるのは、猫みたいで気に入ってる」
「そうですか、でもそんな気分じゃないって、さっき言いましたけど」
大丈夫だその気にさせると、どこから湧いてくるのが自信満々に言うので、もうこれは諦めたほうが楽だなと抵抗するのをやめて、もう好きにしてくださいよとつぶやく。
「なんだ、いいのか?」
「粘っても勝ち目がないんで」
まあ期待してたのは嘘じゃないし、その気にさせてくれるんなら任せますよ。ああでも、このまま主導権を放棄するのもしゃくなんで、なにか一つでもやり返してやろうか。
「甘やかしてくれんですよね?」
「素直になればな」
「じゃあ、今日の人と同じように抱いてくださいよ」
そう言ったら目の前で思いっきり顔をしかめられた。
「ダメですか?」
「酔いどれにはキツイぞ」
「へえ、随分と熱烈にしてきたんですねえ、羨ましい」
本当に羨ましいと思う、なんのしがらみもなしにあんたに想いを綴れるその人が。
その晩のことは、あんまり覚えてない。ただ早朝には抜け出して部屋に戻るつもりだったのが、朝が来ても立ちあがれなかったあたり、相当に激しく抱かれたことだけ想像できた。
一ちゃんがもしも、函館までついて行ってたら
寒さに焼け出されてしまいそうな手をすり合わせ、指の感覚をどうにか取り戻しておく。いざというときに開かないなんてことになると困るから、定期的に指先まで滞りなく血が巡るよう動かすのだ。
空にかかる薄く墨を引いたような雲からは、今にも雪が降り出してきそうだ、すでに降り積もっているときよりも、その直前がやけに冷えが厳しく感じる。
「おまえ、寒いのは苦手か」
「雪国出身ならまだしも、普通の人間にこの雪は堪えるでしょ」
生身じゃなくなったとしても、苦手な生命活動が危ぶまれるような状況下での活動は、流石にごめんこうむりたい。これくらい平気だというこの人のほうが、圧倒的に危ないのだ。これといった予兆もなく、パタリと体が動かなくなったりしたらどうするつもりなんだろう。
「そんなことはありえねえ、俺である限りは」
「ええ、あなたはいつでもそうでした。前だけ向いてきた、斬っては進み、死地をも切り開いて、その結果がこれですよ」
行き着く先はみな同じ、鉛玉と血と殺気が入り混じる終わりなき戦場だ、生き延びたければ死ぬまで戦うほかない。
この惨状を見ろ、すでに京から連れてきた隊士の大半はここにいない、近藤さんも永倉さんも、沖田ちゃんだってもういない。主だった顔ぶれで、残っているのはあんたと僕くらいなものでしょう。だから死ぬまでやってろと言った。死んでしまったらお終いだから、それにはつき合えないと思ったからこそ彼に言い切った。
あれは間違ってなかったと思う、否定するのならばこの命がその後に刻んだもの、全てを否定しないといけない。たとえ斎藤一という存在が、新選組の中にしか存在しえないものだとしても、だからこそ己の力で選択したものを歪められるのは腹立たしい。
「おまえ、斎藤じゃないな」
「なに言ってるんですか副長、どこからどう見ても、無敵の斎藤さんでしょう?」
「そうだが、俺の知っている斎藤じゃない」
おまえどこから紛れこんだと聞かれるので、バレちゃってましたかと返す。これでも精一杯若作りしてみたんだけど、やっぱりこの姿って無理あるのかなあ。
できるだけ笑顔を意識して返すものの、相手は顔色一つ変えず、同じ斎藤にしてはずいぶんと軟派な奴だときっぱり言い捨てられてしまった。
「あなたの知る僕って、どんな奴なんです?」
「そうだな、もっと俺に惚れこんでる」
いっそ盲目的に慕っている、その力が強すぎるあまりこんな遠くまでついて来た。魂まで凍りつきそうな風が吹き抜ける蝦夷地にて、刀を手にしたまんま副長は笑う。
「おまえはどこぞで俺を見捨てたんだな」
「いいえ、離反したつもりはないですよ。
ただね、自分の身を考えろとは思います。誰だってそうですけど、死んだら終わりなんですよ。それは土方さんだってそうです、刀で首を斬りつけられたら死にますし、鉛玉が腹を貫通しても死にます。そういう、まともじゃない最期の迎えかただって上等だってあんたは言うんでしょうけど。
「これは間違えた戦なのか?」
「ええ、根本的に間違えてると思います、僕はここまであなたと一緒に来なかった」
「だとしても、結果はさして変わらねえ」
あいつには明日にも江戸へ帰るように言うつもりだった、これ以上の戦場にいる必要はないからと、暇を出す気でいたんだと。
「それこそ本末転倒じゃないですか、あんた一人、ここで死んじゃうことになりますよ」
ほら新選組がどこにあるんだ、自分がいればそこが組だと、この人もきっぱり言い切るあたりに、変わらないなあと少し懐かしく思うだけ。
まあ身から出た錆ですし、始末くらいはつけますよ。どこぞのあなたの知る、別人が狂おしいほどに願ったとしても、ここで土方歳三は死なないといけないんだ。
「おまえに取れるのか」
「そりゃあ、無敵ですし?」
「終わったか?」
「はい、どうにかなりました」
マスターちゃんがつけてくれた礼装が上手く働いてくれて、生き延びはしたものの、やっぱり土方さんであることに違いはない、攻撃を受けるほどに力があがっていく、しぶとくて仕方なかった。
「僕の首は取れたんですか?」
「当たり前だ」
どんなだったんだろう、あなたを盲目的に信じた僕っていうのは。もしかして隊士としては理想の姿だったんじゃないか、と考えてたのが顔に出ていたのか、あんな奴は新選組には不要だときっぱり言い返される。
「胸の内に己の誠を持たない者に居る資格はない、あれはおまえじゃねえ」
「そうですか」
だといいですけどね、それにしてもほんの僅かにズレただけでこんなふうに特異点なんてできちゃうんだ、そんな名だたる英雄だった自覚はないが、それだけ聖杯にかける願いは重いってことかもしれない。
「実際に、もしも僕がここまでついて来るって言ってたら、副長はどうしたんです?」
「来るなら来い、それだけだ」
状況にもよるし、なによりそうはならなかったことを知っているので、他のことを考えることは馬鹿らしいと言う。
「しかし、別人とはいえ自分の首が飛んだのか、と思うと少しむず痒いですね」
首のあたりまで寒気が覆い尽くしているようだと言うと、なんてことはない本格的に雪が降り出していただけだった。
一ちゃんの体型を指摘しちゃった人
最初は二の腕、それから胸の辺りをなぞり、腹から背中、腰回りを撫でてから太ももへ落ちていく。その間になにも言葉を発せられていないものの、これはそのつもりで触れられている、と思っていいでしょ。
だから抱き寄せられいよいよかと思った直後、この人の口から出た言葉に思わず固まった。
「斎藤おまえ、結構肉ついてるな」
「いやあ、あんた体型崩れてねぇだろ」
「そうだよね! 僕もそう思う」
でも指摘された以上は、肉はついてるわけでしょ。たるんでるって思われるのは嫌だっていうのもあるけど、そういうの普通によくないと思う。
というかサーヴァントは全盛期の体で召喚されるから、よほどのことがない限りたるんでると判断されることはないはずなんだけど、召喚後に変わってくるとかそんなことあったりするの、わかんないんだけど。でも鍛えて結果が出てる彼等を見るに、その逆もある可能性はあるんだろうね、盲点だったけどさ。
「鍛えるっていうんなら、そいつは歓迎するけど。初日からあんま無理はしないほうがいいぜ?」
ヤケを起こしても仕方ないんだから、じっくり始めればいいとアドバイスしてくれる金時さんの体は、まあ驚くほど筋肉質だよね、感覚ぶっ壊れそうだけど日本人でも鍛えればそんななれるんだ、人体に限界とかって存在しないんだね。
「とりあえず、体絞るのが目的なら我武者羅にやるより、まず目的を持ってやるのが一番だぜ」
どこを落としたいかと、体型が崩れたと思うならその原因を突き詰めるのが手っ取り早い、思い当たる節はないかって聞かれて、しばらく考えこんでから強いて言うならカルデアの食事くらいかな、と返す。
「わかるぜ、ここの飯って美味いからな」
「うーん、でもそんなに食べ過ぎてる気は、いや生前に比べて揚げ物はよく食べてるし」
原因としては充分ありえそうだ、魔力消費が激しいサーヴァントだと女性でも食事量が多くなるから、そこも感覚が狂ってしまう原因かもしれない。なにこれ魔窟じゃない。
「そもそも副長だって結構食べてるのにさ、あのガタイを維持してるのはなんで」
「まあバーサーカーは魔力消費が激しいからな、食事分だけなら戦闘で一気に消費されるし、むしろ足りないこともあるだろうな」
実際、金時さんも結構食べてるもんね、そうやって食べた物が全部筋肉にいくのは羨ましい限りだよ。
「あっ、やっぱり金時ここだったんだ。探してたんだよ」
次の編成について相談があるんだけどいいかな、と声をかけてきたマスターちゃんと目が合う。シュミレーターじゃなくこっちで体を鍛えてるなんて、珍しいねと言われるもんで、まあ繊細な理由があるんですよと茶化しておく。
「新選組の兄さん、贅肉がついたんじゃないかって心配して来てんだよ」
「ちょっと、隠そうとしたことわざわざ言わないでよ!」
「ええ、斎藤さん見た目以上にがっしりしてるほうだと思うけど」
でも副長に指摘されちゃったんだから、見えないとこにきてるんじゃないかな。休憩に水を取りながら返すと、それもしかして私が言ったからかもとマスターちゃんがつぶやく。
「この前、敵対エネミーに吹っ飛ばされたとき、斎藤さん受け止めてくれたでしょ?」
そんなことありましたね、派手に飛ばされたし崖が迫ってたから急いで受け止めたんですけど、そのときの腕とかが見た目以上にがっしりしてたからビックリしたって、話を土方さんにしたんだよ。
「そしたら、あいつの腕にそこまでの筋肉はねえだろって言ってたから、確かめただけじゃない?」
ええいや、それはそれで失礼でしょ、僕だって一端の剣士でありサーヴァントなんで、そりゃ副長に比べれば見劣りはするでしょうけど、筋肉も腕力も相当ありますって。
「なんかムカつくので、しばらく鍛えてやります」
「そっか、無理しない範囲でね?」
後日、えらい形相で俺の腹回りを撫でてた副長に、どうです頑張ってるんですよと言ったら、体が硬え、いい具合だったから戻せと言い放たれた。
土斎で雨と呪いと共寝の話
最低な気分だった。
石の塊みたいな固そうな雲から地上へ向け打ちつける雨は、皮膚に冷たく刺さり体を伝い流れ落ちて行くのに、なぜか血の匂いはこびりついて離れない。風呂にでも入れば変わるのかもしれないけど、それまで待つわけにはいかないだろう。
早いとこ部屋に戻って、濡れてしまった刀から雨水を拭き取ってしまいたい。愛刀に錆なんて残ろうものなら、それこそ最悪だ、なんでこんな夜に限って雨なんて降っちゃうのかね。
「斎藤か」
傘もなしにどうしたと声をかけられて、足元ばかりを見ていた顔をあげれば、表情を変えずにこちらへ寄って来た副長に、もうこんなけ濡れてるんで傘はいいですよと笑って返す。
「構わん入れ」
「副長が濡れますよ」
上の人間が二人も風邪引いたらまずいでしょと言えば、おまえも俺もそんな柔じゃねえと引き寄せられた。
「こんな時間に、なにしてたんです?」
「飲みの帰りだ」
俺がなにをしてたのかは聞かない、そういうとこ気遣ってくれるのはありがたい反面、なんだか申しわけなくもなる。
「この後は空いてるか?」
「刀の手入れさえ終われば、空きます」
「なら後で俺の部屋に来い」
風呂をいただいて刀の手入れも終わったので、約束どおり土方さんの部屋へ向かったところ廊下の障子戸が開けっ放しになっていた。失礼しますよと声をかけ入り、後ろ手に戸を閉める。
「早かったな」
「まあ、呼ばれた以上はさっさと来ますよ」
目の前に腰をおろして、今晩はどうするんですかと聞くと黙って手招きされる、ならともう少しそばへ寄れば、腰に腕が回されて相手の胸の中まで引き寄せられた。
「風呂に入ったとき準備はしてきてるんで、好きにしてくれれば」
「今晩はそのつもりで呼んだんじゃない」
寒そうだったから呼んだ、それだけだと言うと。体温の高い大きな腕に閉じこめられたまんま布団に横になるので、本気でなにもしないんですかと聞き返す。
「僕ちょっと期待してたんですよ」
「嘘つけ、面倒だって思ってただろ」
酒を搔っ食らうか色に溺れるか、どちらでもよかったけど、ともかく自分の前にあるものから逃げ出したかった。こんな情けない気分なんて、初めて人を斬ったとき以来だ。
あれからもう随分と経つし、刀を握ることにためらいもなにもない、そのはずなのに今晩はダメだ、隊士だと名乗ることもおこがましいほどに、今晩の俺は弱い。
「ある男と、話をしたんです」
人を一人殺すごとに、自分のどこかが死んでいってるような気がする。刀に手をかける行為そのものを武士の恥だと罵りはしないが、おまえが斬った人間はおまえ自身なんじゃないかって。
「そいつは今朝がた、川辺でみつかりました」
橋のふもとで斬られて、川に投げ捨てられて、岸に流れ着いてたのを見回りをしてた同心にみつけられたという。誰が斬ったのかは一目瞭然だったので、今しがたそいつを手にかけてきた。山崎からの報告もあって、近々処断すべき不穏分子だったから、日が早くなっただけ。
なんら変わらない、いつもの仕事。だけど全員を斬り倒した後に思い出したのだ、あいつが言ってたことを。あのときは戯言だと聞き流してた言葉がふっと、呪詛のように思い返されて。
「全部忘れろ」
「そうしたいです」
だから苦いものを押し流すように、なにかで満たして忘れようと思ったのに、なんの因果かこんな懺悔を、一番聞いてほしくない人に話している。
「ねえ土方さん、やっぱり」
「いいからもう寝ろ、明日には忘れてる」
寝て起きたらいつもの斎藤だ、今夜のことは不問にするからもう寝ろと言いながら頭を撫でてくるので、その手に甘えるように擦り寄ってみる。
「おい斎藤」
「今夜のことは不問にするんでしょ、たまには甘やかしてくださいよ」
いつもしてると不機嫌そうに語る人は放置して、目を閉じる。屋根を打ちつける雨の音は遠く、そろそろ止むんだろうと思った。
土斎で錆の話
道具も人も、手入れを怠れば錆びる。
薬を売ってるときからそうだが、たまにその錆がくっきり出てる奴を見かけることがあった。パッと見で気づけないこともあるが、そいつが体の周りに浮いて出るようになってる奴は危ない、薬を勧めて休みを取らせれば治ることもある。
治らなかったら、手遅れになることも多かった。天命だったと諦めりゃいいのか、手を尽くせたと考えればいいのかは、時と場合による。
元より研磨を怠るなまくらには情けをかける必要もないだろう、経年で劣化していくのも人間だ、どれくらい強いかどれほど切れるかは人によりけり。
だが、刀になるように生まれ落ちた奴がたまに錆をつけて戻る。
影で鬼だのなんだの呼ばれるが、俺もこいつらだって人だ、そりゃあ承知してる。どんなに人を斬れようと、根っこの部分まで人の道を踏み外してない。情もあれば迷いもある、刀を握ったときにそのそぶりを見せないところが、隊長としての力量に表れていると思うところではある。
だが一目でわかった、雨の中フラフラとうつむきがちに歩く姿、その背にどこか錆を負ってやがる。こんな凍てついた雨の中、傘も差さずに歩いてるからだろうが馬鹿者が。
名前を呼んでやれば、俺を見てにこりと不器用に笑ってみせる。錆を隠して一人で背負いこむ気でいるんだろう。
普段なら捨て置いた、てめえの落とし前ならてめえでつけてこい、それが武士であり男だと。だが今回はそれができなかった、このまま放置すればいつか腐って根元から折れちまうのが想像できたからだ。
傍で寝息を立てている相手の頭をまだ撫でている、男の髪なんざ撫でても面白みないでしょうなんて言うが、こいつのくせのある毛は柔らかく指通りは悪くない。正直に言うと、かなり好きだ。
髪を梳く指が首筋をいくとき、黒いモヤのようなもんが取り憑いてるのに気づき、振り払うように追い出す。
怪我も病も、弱気もそうだが、やばいもんはたまに形になって見える。手遅れになる前に追い払ってやるのも、使うもんの勤めだろう。
迷いなんてもんは人である以上、つきまとい続けるのはわかってる。だがそれがわかってても見過ごせなかったのは、こいつの刃先を狂わせる理由が知らぬ男のものだったと聞いたからだ。
自暴自棄を起こすほどに、揺さぶられる相手のことが許せねえ。どんな場所で、どんな理由で話した相手かは知ったことではないし、口出し無用だとわかっているが、それでもだ理屈や道理がまかりとおるときと、頭でわかっててもできねえときがある。
早い話が嫉妬ですよね、と頭の中で沖田の声がした。
そんな生っちょろい感情で一括りにすんなと斬って捨てたいところだが、あながち外れてもない、いやはたから見りゃそのとうりだろうが、違う。
みすみす折るには惜しいと思わせる程に、こいつは切れるし美しい、それだけだ。
完全にいなくなったのを見届けてから、目を閉じる。
早朝になっても抜け出さず、まだ深い眠りの中にいる相手に布団を掛け直してやり、起こすのはもうちょい後でいいかと考える。
普段なら俺が目を覚ます前に消えてるか、気がつくと同時に起きるもんなんだが、まだ残ったままだったかとうなじの辺りを見つめるが、特に汚れがついているわけではない、なら疲れてるだけか、珍しい。
よほど体が冷えていたんだろう、昨晩引き寄せたときもまだ体温が低かった。なら俺の近くはいい、血の気が多いからか体温が高いと昔から言われてきた。
腕の中にいる相手がわずかに身じろぎして、ゆっくりまぶたがあがったので挨拶してやれば、しばし呆然としてから飛びあがるように抜け出した。
「なんだ、もうちょっと寝てていいんだぞ」
「いや、いやいや、もう充分です」
しっかり休みましたし、もう大丈夫ですと顔を真っ赤に染めて言う。陰りが消えた表情から、口にしている言葉は嘘ではないだろう。
「斎藤、ちょっと来い」
「いえもう大丈夫ですから」
「そうじゃねえ、寝癖がひでえから出ていくにしても直していけ」
片側だけに偏って跳ねた髪を梳いて、幾分か整えてやる。まあこんなもんは名目だ、こいつに錆が残ってないか確認するための。
「よし、もういい」
「はい」
お世話かけましたと深々と礼をしてから出て行った相手に、おまえはもう少し手間をかけてもいいんだぞと小さくごちた。
あとがき
11月末くらいから、葵のtwitterにて毎日小説を書こう企画のまとめです。
2020年12月31日 Twitterより再掲