泥中の蓮も牙には折れる

 サーヴァントの肉体は全盛期の姿で召喚される、それが一体いつなのかは人によって様々あるんだろうけど、少なくとも現界した自分は完成された姿である、ということだ。
 それが酷く恨めしい。

 カルデア内では個人の部屋にシャワールームがついているものの、施設として大浴場も完備されている。汗を流すだけなら部屋に戻ればいいのだが、沐浴の習慣がある国の生まれとなると、こうした施設はありがたいものだ。
 夜の早い時間であれば利用している者も多く騒がしい、だから一人で足を伸ばしたいときは深夜に近い時間に来る。こんな時間に風呂場へ行くならば、自室のシャワーで済ませたいと考える者のほうが多いのか、あまり人と出会わないのはすでに把握している。
 ゆったりと足を広げて浴槽の中に身を沈める、一人で占領するには広すぎるという声もあるが、わし様からするとこれくらいの広さは必須だ。砂埃で汚れた髪もすっかり綺麗になった、どのような立場であろうとも自分は王族である、いかなるときも身辺は綺麗にしておきたい。
「こんな時間に珍しいな」
 失礼するぞという声と共に入ってきた声の主に、苛立ちをそのまま貼りつけた顔を向ける。
「なんだおまえか」
「なんだとはなんだ、というか入ったときに気づけバカビーマ」
 普段と違う姿だったからな、髪が長いと別のサーヴァントに見えたとしれっと言い、少し離れたところで体を洗っていく。まったく意に介していないのが腹立たしい、せっかくいい気分で湯に浸かっていたのに、急激に気分が下降していくのがわかる。
 別に楽しいわけじゃないが、流石に人の気配があると気にはなる。体を洗ってから今度は髪へと移るビーマのあまりにも乱雑な仕草に、おい待てと思わず声をかけてしまった。
「おまえ髪くらいしっかり手入れしろ」
「ちゃんと洗っているだろ」
 確かに洗ってはいるがそれでは痛むだろうが、現代では手入れに適した製品がいくつもあるが、短髪のサーヴァントであれば洗う時間を惜しみ、それほど手をかけないのはまあギリギリ理解できなくもない。だがおまえは違うだろう、まさか石鹸で洗ってもいいと考えていたとは、髪が再臨段階でボサボサなのはそのせいか? せめてコック姿のときのように最低限度、普段から身だしなみに気を使うことはできないのか。
「仕方ない奴だ、ほれこれを使え」
 常備されているシャンプーとコンディショナーのボトルと合わせて、自分の手入れに使っている精油の瓶を投げて渡すと、訝しむようにこちらを睨み返すので、別に毒ではないぞと念押しするも、信じられると思うかと瓶だけ投げ返される。
「わざわざ一人湯を堪能しに来ている者が、毒なんぞ持ちこむものか」
 間違って使ったら危ないだろうが、わし様そんな無様な死にかたはしたくはない。
「おまえが親切にしてくると、なにかあると身構えるだろ」
「残念ながら気まぐれだわ、別におまえのためではない」
 あまりにも野生児がすぎて驚いたのと同時に、インドの者は身だしなみを考えない、なんていうマイナスイメージを持たれたくなかった、それだけである。
 とりあえず常備されているシャンプーを渋々と手に取ってみるものの、ややあってからなあと声をかけられる。
「どうやって使うんだ」
「ああもう、世話の焼ける野郎だな!」
 仕方ないと湯船からあがり、相手のそばへ歩み寄って投げて渡したボトルを取り返すと、水で全体を濡らしてから大量のシャンプーを泡立てて、地肌から毛先までしっかりと洗っていく。
 大型の犬、いや野生の狼でも洗っているような気分になりつつも、一通り洗い終え他ので洗い流すと、今度はコンディショナーを取って毛先を中心に全体に馴染ませていく。汚れを落として空いた髪に栄養を流しこむ、そういうイメージだと伝えると、一人でやるには面倒じゃないかと口にするので、その長さで手入れを疎かにするのはナンセンスだと叫ぶ。
 最後に、自分の愛用している精油の瓶を開けて、ハーブと花の蜜でできた甘い香りのするそれを長くゴワゴワしていた毛先を中心に、しっかりと馴染ませるように塗りこんでいく。
「おまえの甘ったるい匂いはこれか」
「汗と血のむさ苦しい臭いより、ずっといいだろう」
 こうして触れて見て気づくが毛先にいくほど痛みがひどい。サーヴァントには肉体の成長がないとはいえ、劣化していると感じるのは気分が悪いもんじゃないのか。  なんとか全体に馴染ませることができたので、しばらく時間を置き芯までしっかり休ませれば、気持ち少しだけ艶が戻ったように思える。癖っ毛はもう仕方ないが、それでも塗りこむ前よりはしなやかになった髪に満足した。
 そろそろ落としてやろうかとシャワーノズルに手をかけたところで、相手の視線が自分の顔や手ではなく、別の場所を見ていることに気づいた。
「なんだ、おかしなものでもあるか」
「それは」
 相手の差す言葉の意味を二つ考える、相手の目の前に立ったことで自分の体はしっかりその目に映ったことだおる、うつむきがちになるしかなかった視線は、わし様の足下を捉えている。その行先を考えて、どちらにせよ今ここで否定するものではないと思い直し、よく見えるように左足の角度を変えてやる。
「よくできているだろう、召喚されてから頼んだのだ」
 ここの縫製室にいるサーヴァントは装飾品に精通していると聞いて、注文したら思った以上に上手くやってくれた。着色に使ったのはヘナではなく、特殊なエーテル塗料だとか教えてくれたが、結果が同じならば材料の違いなど問題ではない。
 人ももの中心に繊細な線で描かれた蓮の花の模様を指でなぞる、水や油ですぐに落ちたりはしない、メヘンディと同じく時間経過で薄れてはいくが、これは新しく魔力を注げば再び色が戻るんだと。
「さっき色を戻したばかりだからな、よく見えるだろう?」
 好きなだけ見てくれていい、赤い傷跡の上によく馴染んで映る花をなぞっていくと、腕を掴んで引き剥がされ、空いている手で花弁の縁をなぞるように撫でる。いやこれは拭うと言ったほうが正しい、力が強すぎて痛いわ、大体な触っていいとは言ってないぞと頭を引っ叩くと、ムッとした顔でこちらを睨む。
「なぜこんなものを入れた」
「自分の体の気に入らない場所を、好むように変化させてなにが悪い?」
 流石に見たくないからって自分の脚を切り落とすほど馬鹿ではない、わし様の玉体を自ら傷つけるなど言語道断である。故に花の飾りを施した、より鑑賞に耐える美しさで上書きしてやったまでのこと。
「わし様が、おまえにつけられた傷をそのままにしておくわけがなかろう」
 許すものか、全盛期の姿として召喚されたこの俺に、ただ一つ生前になかったものを刻みつけたことを、その形も大きさも痛みもよく覚えている。確かに全盛期につけられたものであるが、傷が跡になることなんて生涯なかったというのに、あの瞬間こそが自分の頂点だったというのか。
 わし様を英雄たらしめる功績がこいつとの因縁だというなら、仕方がないが受け入れてもいい、だが文句はある、吐いて捨てるほどある。自分の生き様に、こいつの存在を文字通り刻みつけられているのだぞ、相手に残せるものがなかったということも含めてな、物申せるならいつだって抗議する用意はある。
 こんなものを残さなくっても、わし様はビーマから逃げたりはせん。
「いい加減に手を離さんか、馬鹿力め」
 掴まれていた腕を振り払い、今度こそぬるま湯で全て洗い流していく。水に合わせて流れて行く髪は、荒々しく洗おうとした最初と比べて幾分か指通りがよくなった、我ながらいい仕事ではないか。これくらい日常的にやる習慣くらいつけておけと頭を軽くはたけば、黙っていた相手が少し苛立ったように顔をあげる。
「なんだ?」
 無言のまま口を開けるとすぐそばにあった手を掴み、そばに引き寄せられると首筋に触れ。
「いや痛い、痛い痛い!」
 頭を押さえてがっつりと首筋を噛まれた、歯が食いこみ血が滲むほどしっかり噛み跡を残しよってからに、なんなんだと涙混じりに叫べば、傷をつければそこに花を入れるんだろうと淡々と返される。
「どうせなら、見えない場所よりもそれとわかる場所のほうがいいだろ」
「わし様からは見えんわ!」
 血の流れる首筋を抑えて、いきなりこんな仕打ちはないだろうバカビーマ、おまえなんか将来ハゲてしまえと叫べば、サーヴァントに肉体の成長はないと言ったのはおまえだろうと、呆れ口調でつぶやくと口についていた血を舐めた。
 いまだ薄らと血の色が残る相手の唇がいやな艶かしさを放っていて、背筋に走った悪寒は一体なにに起因するものだろう、いや深く踏みこむのは危険だと直感的に切り捨て、牙を剥いた相手から離れることを優先する。
「次入れるときは、俺が直接描いてやろうか」
「そんなもんお断りだ」
 伸ばされかけた手から逃げて水量を最大にしたシャワーを顔に向ける、大した抵抗ではないが足止めにはなったらしく、顔を覆った相手を一人残して立ち去る。誰が貴様の世話になるか、いや貴様の世話を焼いたわし様が悪いのか、とにかくもう二度と手を出したりするもんか。
 傷を隠したいのなら肌に見せるテクスチャもありますよ、と親切にも教えてくれた相手に無理を言ってまで上書きしてもらったのは、他でもない自分ではある。  どうして残したのか、そんなもん単純に目を背けると負けた気分になるからだ。絶対に逃げられないし逃げるつもりは更々ないが、勘違いされるような行動を取るのは癪に触る、だからギリギリまで残す道を選んだだけ。
 首につけられた傷の具合を確認し、とりあえず止血するべきかと汚れた手で触れた足の上で、血に染まった蓮の花がより赤く浮かびあがった。思わぬ魔力を吸って変貌してしまったらしい、あまりにも毒々しい花の色に眩暈がする。どんなに高潔な花でも直接血を吸っては毒にも犯されよう、せっかく咲いたばかりなのになと溜息を吐く。
 思い出したくない痛みが這い出てくるような感覚に頭が揺れる、それと同時に先ほど刻まれた傷と、かかる息の熱さと触れた手の熱が体を焼いてくる、視界が歪んで気持ち悪い。
「やっぱり、おまえは嫌いだ」

あとがき
傷があるヨダナさんいいよなと思った反面、傷があることを許すタイプではなさそうだなって。
メヘンディことヘナタトゥーは現地ではポピュラーらしいし、刺青よりはボディペイントに近いっぽいので、気軽に入れられるぜと書き出したものです。
2023/07/06 Twitterより再掲
close
横書き 縦書き