残り香はジャスミンとシナモン
「ビーマさんは、いつも美味しそうな匂いがするよね」
向かいに座るマスターに、目の前にカレーの皿があれば、食欲をそそる香りがして当然だろうと苦笑する。
「カレーの匂いもそうだけど、ココナッツとかハチミツの匂いもするでしょ」
「ミルクも言われたことあるな」
どれもインドじゃポピュラーな食材だ、甘い香りにつられて顔を出す子供系サーヴァントともおかげさまで仲良くなれた。美味しいもんねと笑顔を見せる少女にも、オマケだと言ってデザートを一品つけて渡したのだ。
「食堂の仕事、大変じゃない?」
「これくらいなんてことない」
ここの料理人たちはかなりの猛者だ、そもそも自分がおらずとも成り立っていた。それでも実力を期待されて認められるのは嬉しいことだし、役に立てるというのならいくらでも腕は振るうさ。
そんな話をしつつ食べ進める彼女に、ナンのおかわりはいるかと聞こうとしたとき、あーっという聞き慣れた声がどこからとなく響く。
「おいおいマスター、わし様を差し置いてよりにもよってこいつと昼飯とは」
「休憩の時間が被ったから」
わざわざ同伴する必要があるか、それなら自分を誘えばいいだろうと突っかかってくる男、ドゥリーヨダナに対し、だって以蔵さんたちと一緒になんかよくないことしてたでしょと、マスターは取り合わない。
「真昼間から賭博とはな、他にやることはないのか?」
「わし様のすることのなにが悪い、大体いいカモがいるなら逃すわけなかろうが」
以蔵さんまた怒られるんだろうなと、ここにはいない相手の心配をしている彼女も、よくよく肝が太いというか、数多の英霊を従えるだけあって胆力がある。なによりバーサーカーの男に突っかかられて、平然と食事を続けられるというのは凄いなとは思う。
「ごめんごめん、これあげるから許して」
そう言って彼女が差し出したのは、ココナッツをまぶした一口大の揚げドーナツだった、仕方ないなあとつぶやくと大きな口を開けるので、それはつまり食べさせろということか。
「我儘もいい加減にしておけ」
「別にいいよ、ほらあーん」
明らかに子供に対する扱いだと思うのだが、特別待遇とみなしたのかそれで溜飲は下げたらしいので、いい加減に食事の邪魔だからあっちへ行ってろと軽くあしらうと、あらかさまにいやな顔を向けられる。これもいつものことだ、よく見慣れた顔でもある。
「ふん、今度は絶対にわし様を誘うんだぞ」
「わかった、約束するね」
カルナさんたちも一緒がいいと提案する彼女に、それなら自分から声をかけておこうとパッと笑顔を向けて返していたが、すぐに元の不機嫌な顔に戻り、今回だけだからなと俺に告げるとその場を去っていった。
「相変わらず、騒がしい男だな」
「無理に和解してほしいとは言わないけど、やっぱり苦手?」
好敵手だとか生前の殺し殺されの関係は、それこそ様々で。顔を合わせるだけで一触即発の空気になる者から、過去のことは水に流して、今はマスターのためにと力を合わせる者まで対応は違うらしいが、俺たちの場合はどうにも相容れない、というのが正しいんだろうな。
「どう足掻いてみても反りの合わない人間、自分ができるだけ下手に出てみても、相手のために行動しても、それを踏み躙るように毛嫌いする者は、どこにでもいるもんだ」
「それがビーマさんにとっての、ドゥリーヨダナってこと?」
少なくとも反りが合わないというのは間違いない、あいつも俺もお互いに気に食わない面はもちろんある、それは否定しないものの、なんと言えばいいんだろうな。
「あんまり深くは詮索しないけど、私闘は禁止だからね」
「わかっている、郷に入れば郷に従えってこった、カルデアでのルールは守る」
とはいえあいつはそれで済むだろうか。ことあるごとに噛みついてくる男、今は離れた席で賭場で買ったからと仲間に昼食を奢っている相手をこっそり見つめ、小さくため息を吐く。
嵐のように現れて、花の香りだけ残して去って行った男の、なんとも言えない苦渋に満ちた顔が脳裏に焼きついていた。
「自分を殺した相手なんて、二度と顔も見たくないもんよ」
「やっぱりそうだよな」
当たり前じゃないの、わかってて聞いてるんなら人が悪いってもんでしょ、とつぶやくヘクトールさんに、カルデアに仇がいる者として、すぐ話が聞けそうな相手が思い浮かばなかったもので答えれば、まあ悩める若者の相談くらい耳は貸すけどねと苦笑気味に返される。
「なんせ死に際の最後に見た相手でしょ、その後のことも含めてあんまりいい気はしないわけ」
そちらさんも似たようなもんでしょ、国をかけての戦争となれば死んだ人間の数も多い。でもそれは結果的には外の問題、王としては国と民をかけているんだから周りを第一にはなるけれど、自分の内側にある個人としての感情はまた違う。
周りの結果として公平にどちらが悪いかなんて測れない、正義だとか悪だとかの尺度なんざ戦いの中にはないんだ。公正な物差しで決められないのなら、内側にある感情の強さで決めるしかないだろう。殺すだけでは収まらないようなほどの憎しみだとか衝動だとか、そういう思いの強さは強烈に残ってる。
「おじさんよりずっと因縁も深いみたいだし、事情が複雑になる分だけなにが正しいなんて、考えるだけ無駄だと思うよ」
石を投げられるくらいは覚悟しといたほうがいいかもよと言われて、そういう狡いことはしないと返しかけて思いとどまる、この人がするんなら自分もいいかなんて考えるだろうし、なんなら手が滑ったとか言って岩を投げるくらいはしかねない。
「めちゃくちゃ言うねえ」
「めちゃくちゃな野郎なんで」
バーサーカーの言動なんて整合性を取るほうが難しいでしょ、あれを相手に勝ったってほうが驚きなんだけどと言われるので、それも色々とありましてとぼかして返す。
「まあ決闘の終わりなんてそういうもんじゃないの」
運も尽きたなって思ったもん、あちらさんだって思い残すことはいくつもあったけど、それを受け入れるしかなかった、まあ死に行く側に選択肢なんてないんだけどね。
でも結果的に今はこうして同じマスターの元へ召喚された、一人のサーヴァントでしかない。
「話を聞くんなら、おじさんじゃなくってアキレウスのほうがよかったと思うよ。殺したバーサーカーに恨みを持たれてる同士、話は合うんじゃない?」
噂には聞いたことはある、あちらは相手にいまだ殺意を抱いて限界したとも、確かに事情を考えれば似ているのは相手だったかもしれないが、聞きたかったのはそうではない。
「マスターに迷惑をかけないって意味じゃ、できるだけ顔を合わせないでいるのが正しいんじゃない」
そんな話をしていた直後に、おーいカルナと呑気かつ周囲に響き渡る声量で友を呼ぶ、噂の本人が顔を出した。
「なんだよ」
「なんでわざわざ自分から向かってくるのかと思って」
食堂で鉢合わせるのは仕方ないと割り切っても、流石にランサーの集まりに顔を出すのがまずいというのは考えつくだろう、自分の仇敵のクラスすら忘れたかと言えば、貴様がいるとも限らんだろうが、大体なんでおまえとカルナが同じクラスなんだ、納得がいかんわと噛みつくように喚き立てる。
「ちなみにカルナだったら、さっきマスターが連れてっちゃったよ」
「なんだよわし様を置いて先に行っちまったのか」
せっかく迎えに来てやったのにと言うので、この間の食事がどうのという約束のことかと思い至る、行き違いになったなら用もないなと踵を返す相手に待てと声をかける。
「おまえに用はないぞ」
「マスターの所へ行くんだろう、これを渡しておいてくれ」
なんでわし様がビーマのお使いなんぞせにゃならん、自分で行けとあらかさまにいやな顔をする相手に、これから会うんだろう、それともカルナたちと一緒の席に俺が入ってもいいのかと聞けば、酷く顔をしかめてから今回だけだぞと荷物をひったくるように受け取る。
相変わらず花の香りがするが動きはがさつな相手に、割れやすいんだから丁寧に扱えと注意するも、持って行ってやるだけ感謝しろこのタコと言い置き、背を向けて来た道を戻っていく。
「おまえさん、わかっててやってるだろ」
「なにが?」
面倒なことしてるよねと言われるので、そんなに底意地の悪いことをした記憶はないと返せば、自覚があるだけに厄介だなと苦々しい顔で言う。
「俺は別に、あいつが悪いんで」
「よく言うよ」
マスターからいい匂いがすると言われた、王族である以上は身だしなみには気をつけている、とはいえ自分の細かい機微に気がついてくれるのは嬉しいものだ。
「シナモンの匂いがする」
「ああ?」
わし様のじゃないなと瞬時に察し、さてはこれかとここへ来る道中に渡された包みを差し出せば、中身はシナモンで味つけられた焼き菓子だったらしい。
「ビーマの野郎め、こんなところでも好感度を稼いでやがる」
「わざわざ持って来てくれたんでしょ、一緒に食べる?」
いらんいらん、あいつの作った菓子とか甘そうだし、そもそもわし様そんなにシナモン好きじゃないしと手を振って断れば、そうなのと小首を傾げるので、本当だぞ別にそれ以上でも以下でもないと断言する。
「とりあえず、座ったらどうだ?」
せっかくの昼食の席なんだと言うカルナに、それもそうかと思い直し空いていた彼女の前の席に腰を下ろせば、ドゥリーヨダナはお香のいい匂いがするよねと指摘された。
「なんだ、わかってるんじゃないか」
それと知っていながらひどいぞと言えば、らしくない匂いだったから気になってと返される。
「シナモンは似合わんか?」
「そうじゃなくって、もうちょっと甘い匂いだったんだけど」
一瞬だったからわからなくて、なにかの花だと思うんだけどと続く彼女に、ドゥリーヨダナの旦那は花の祝福を受けた戦士だからなと、自分の隣に落ち着いたアシュヴァッターマンが引き継ぐ。
「そうなの?」
意外そうな顔をされるので、まあ傍目にはそう見えんかもしれないが、花に縁があるのは本当だと伝える、内心で少しびくつきながら。
「特別な加護があるわけじゃない、そこは期待されても困るぞ」
「でもいいなあ、花の神さまからの祝福なんて」
少女から向けられる憧れの視線は少し気分がいい、ただ愛らしいと感じる年頃に相応しい感性だ、別に気取られているというわけでもなさそうだし、二人も特に指摘するでもないから、きっと誰にも気づかれてはいない。
自分に何度も言い聞かせ、目をつぶってやり過ごせば消えるものだと信じていた。
白い花の飾りを戯れのように被せられた。なんのつもりだと相手を睨みつけると、ほとんど変わらない高さにある、よく見知ったすみれ色の瞳は、気づいていないのかと問いかけてきた。
「なにが?」
「最近、おまえが振り撒いている匂いの正体について」
心当たりをバッチリ言い当ててきたビーマに、奥歯を噛み締めなにが言いたいと聞き返せば、よりによってジャスミンの花の香りとなれば、俺にだって流石に思い当たることはあるとビーマは真剣な顔で、静かにこちらを見返す。
「なにを勘違いしているか知らないが、キサマに向けたものじゃない」
「そうか」
そうなら俺としては今までと変わらないでいられる、できるだけ顔を合わせないように気をつけながら、マスターの元で求められた力を振えばそれでいい。
「そこで止まってしまっていいんだな」
「自惚れるのは大概にしておけ、大馬鹿野郎が」
「そうかい」
気のせいか先ほどよりも強く深くなった香りの正体を、暴き立ててもいいんだぞと壁際に追いやられ低い声で唸るようにつぶやくので、おまえがそんな悪趣味な野郎だとは思いもしなかったと、花輪を引きちぎって彼との間に花の残骸を振り撒いてしまう。
「おまえだってよく知っているだろう、ジャスミンの花といえば」
「だとしたら、カルデアに召喚されたあの女神の戯れに巻きこまれたに決まっておろうが、あの弓にはこの花の精油を使ってるなんて伝説もある」
引っ掻き回すように、神の楽しみに巻きこまれているだけだ、それ以上でも以下でもない。どうせ花の香りなんて長続きしない、一時の気の迷いのようなものに燃えあがるほうが間違っている。
それともなにか、ビーマほどの男がこんな悪趣味かつ低俗な香りに惑わされてるとでも、あまりにも馬鹿馬鹿しい限りだな、こんな小さな花の香りに惑わされるなんて。
「それはおまえのほうなんじゃないか」
「黙れ、俺はこの身にジャスミンを宿してなどおらん」
全てはおまえの妄想だ、そんなバーサーカーよりも狂った言動につき合ってやる義理はない。
「ドゥリーヨダナ」
低い声で名前が呼ばれる、その瞬間にゾッと背筋が震える。
「この香り、誰にでも振りまくのなら、この花のように今度は俺の手で散らしてやりたいんだが」
「抜かせ、おまえの早とちりに巻きこまれて、こっちはいい迷惑だ」
散らした花を踏みつけると強い香りが足元から充満してくる、これもよく知っている花の香りだ。故郷でも宮殿でも好まれた白く甘い香りに、頭がくらりと揺れそうになるのを抑えて、追いこもうとする腕から抜け出す。
「わし様はビーマのことはきらいだ」
「ああそうかい」
そうだろう俺たちは決して相容れない、生まれたその瞬間から、永久に交わることのできない運命を背負わせられた者同士だ、それ以上でも以下でもない。だからこれは間違っている。
「思いあがりも甚だしいぞ」
「そうかよ」
要はそれだけかと言い切って逃げるように距離を取れば、特に押し留められることはなく、自由を得たとばかりにその場を後にする。
こんなこと忘れないといけないと走り出す俺は気づいていなかった、踏み潰した花輪の中に入っていたのは花だけではなくて、あいつが好んで使うスパイスを混ぜこまれていたことを。
しばらくして自分から漂う香りが、なんだか異質なものであると気づいたときにはもう遅い、シナモンの香りに結びつけられたスカしたビーマの顔がばっちりと、自分の体に染みついて抜け出せなくなっていた。
思ったより沼が深そうなので、とりあえず一回書いて気持ちを抑えたかったんです。
相手のことをなんとなく思い合ってて、それをビーマさん側は気づいてて、それなら虫除けしておいたほうがいいかと、いうそんな話を書きたかったなって。
ちなみに、ビーマさんの下半身が花の女神が作ったって話は、自分も調べて知りましたけど。
ビーマさんから花の香りがするっていうのは、二次創作するオタクの集合的無意識ですか?
自分もこれだったらいいなって書いてしまってますけど、詳しいかたいましたらお教えください。
2023/06/29 Twitterより再掲