今日の小説まとめ

ゴッホちゃんと藍色の話

 空と大地の狭間、ヒースが広がる広陵とした大地に根を張るように空を眺めていた。
 なにもない、鳥の声も聞こえない、ときおり虫が顔をのぞかせることはあるけど、今日はなぜか彼らもいない、延々と広がる紫色の荒野に、わたしは一人。
 誰も寄りつかない、静かで穏やかで、そんな空気が性に合ってるから、ゴッホはここへ来ました。大人たちの注意の声も無視して、むしろ取り巻くそれらから積極的に逃げるように。こうしてたたずんで花や空や大地に囲まれて、静寂と会話をするほうが好きだったので。
 手元に使いかけの鉛筆があった、ところどころシミができたり皺が寄ったりした紙の束も、落ちてた画板は砂を払えばすぐに使えそうだ。
 自分で持って来たんだっけ、気の向くままに飛び出してしまったと思ったんだけど、まあでもあるものはあるので、紙も鉛筆も、不要になった誰かが投げ出した者だと思うし、ならありがたく使わせてもらおうかと。
 鉛筆が紙のうえを滑るときの尖って汚れた音は心地いい、紙の抵抗を受け止めながら、この手がおもむくまま、意識が望むままの線を描くとき気持ちいいと思う。少しズレたり、狂ったりすると同じように音もズレる、意図しない場所へ汚れていく。
 空想も想像もたくさんしますけど、目の前に広がる景色に向き合うのはきらいじゃないです。現実と向き合うのはいやだけど、むしろ積極的に目を背けたいことばかりですけど、目に入るものは素晴らしいものだと思う、そう思わないとやっていけないこともあるけど。
 ゴッホは必死に生きました、呆れられてしまうことも挫折するようなこともありますけど、全てゴッホなりに頑張ったんです、うまくいかないことだらけでも、この目に映るものを、この体で得た感情を、目の前で生き抜くものの情熱のかけらを、この手で描き出して光の元へ連れて行きたかった。
 この体を照らす、黄金の太陽みたいに。
 火薬と鉄の爆ぜる音と共に、頭にぐわんと衝撃が走る。なにがあったんだっけ、なにをしてたんだっけそう、せっかくスケッチをしてたのに、半分くらいようやく描けたのに今ので鉛筆の芯を折ってしまった。根元からへし折れるように曲がってしまって今のままじゃ使えない、ナイフで削ればなんとか使えるかもだけど、生憎この手元に鋭利な刃物はない。危ないから持っちゃダメだって言われたような気がする、誰が言ったのかわたしは覚えてないけど、誰から聞いたんだっけ、確かにあった記憶なのになにかがズレているような。
 再び鼓膜を引き裂くように火が暴れる、左耳のあたりだ、痛くはないけどなにか思い出そうとするたびに鳴り響く、グラグラと意識が回転して、体ごとヒースの群れへと沈む。水泡が体にまとわりつきゆっくりと下へ落ちていく。

 ゴッホは焦がれました、黄金の太陽が照らし出す影のない世界を。煌々と白く明るい白夜の晩ではなく、瑠璃色の蒼天が広がる世界を。それが今はとろりとした水に満ちた世界をたゆたうだけ、わたしはいつでも焦がれるだけの存在なのかもしれない。

「ゴッホちゃん」
 大丈夫と声をかけられて、恐る恐る目を開けると心配そうにこちらを覗きこむマスターさまの黒い瞳と合う。なにをしてたんだっけと手元を見れば、書きかけの絵と握っていたペンが目につく。
 今日も大変だったし疲れてない、もう休もうかと声をかけてくださる優しい相手に、ちょっとうとうとしてただけです、ゴッホは大丈夫ですと慌てて返す。
「眠いなら無理しないほうがいいよ、休めるときには休まないと」
「確かにそうですが、ゴッホは平気です。これでもサーヴァントなので、回復までそう時間はかかりません」
 本当にとたずねる相手にはいとすぐに返す、こうして一緒に絵を描く相手がいるのになんであんな漂っていたころの幻想なんて、そう思ったけど相手の画板に広がった藍色の空を見て、なんとなく理由がわかった気がする。
「その色、お好きなんですか?」
「夜を描きたくて、ゴッホちゃんとしてはもしかしてイマイチ?」
「いえ、人の感性に口出しできるほどゴッホ偉くないので、でもそうですね」
 藍色の使いかたはあまり好みではないです、使うとするならと話を始める。
 まだまだ長くなってしまいそう、でも楽しい。こんなふうに一緒に誰かと語り合える夜があることが、寄り添ってくれる人がいることが、なんで幸せなんだろう。
 一緒に塗りましょう夜の藍色を、ゴッホの除いた深淵とは程遠い浅い藍色を。

ゴッホちゃんとネモ船長と深呼吸の話

 負の感情、マイナスの思考、よくいうネガティブなんて気軽に発せられる思想の言葉が点々と、黒い染みとなって心と体を蝕んでいく。
 はじめは雨の小さな雫として頬を、次は腕、首筋や肩を濡らし、気づかない内に全身がずぶ濡れになって、体を伝う水が今落ちて来た雨なのかもわからなくなるほど水を吸いこみ、軽く指で押されたら最後、決壊して溢れだす。
 周りの言葉が責め立てる、ゴッホの絵もそれを描いた本人も出来損ないだって、こんなの見る価値もないと、おまえのなにもかもが見るに耐えないと。
 わかってる、ゴッホでは到底画家としての境地には入れない、どんなに高く遠くを願っても、伸ばせど伸ばせど届かないことだって。それでも願うことくらい、夢をみることくらいは許されるでしょう、それもダメだって言うのですか。
 なぜそんなに否定するんです、わたしがそんなに嫌いですか。
「ねえどうしたの、すごい汗だよ」
 声をかけてくれた主を見あげると、明け方の空のような青い目が心配そうに揺らめいている。
「あ、ネモちゃんごめんなさい、大丈夫です。少し昔のことが、ついて回ってるというか。前から幻覚も幻聴もあったから、いつものことです、えへへ」
 そう答えるもののまだ震えが止まらない手を取って、ゆっくり息を吸ってごらんと言う。
「息ですか」
「うん、なにも考えないで僕の言うとおりにね」
 ほら吸って、できるだけゆっくり長くと言われたとおり深呼吸のために息を吸いこむ、けど急に息を深くなんてできなくて、すぐ吐き出してしまう。息すらまともにできないのかと情けなく感じると、そういうのいいからとにかく呼吸を繰り返してみて、と青い目が見つめ返してくる。
「最初は浅くてもいいよ、少しずつ長く息をするように意識して、さあもう一度吸ってみて」
 言われたとおりできるだけゆっくり長く、肺にいっぱいまで空気を吸いこんで吐き出す、その調子だよもっと続けてみてと言われるままに、なんども深い呼吸を繰り返してみた。 「ゆっくり息を吸って、そうそのまま一度息を止めて」
 急に止めてと言われてびっくりしながらも肺に入れた空気を止める、そのまま数秒ほど止まっていると耳のそばで心臓が動いているような、足音にも似た血流の響きが近づいてきて、まだ我慢しないといけないのかと不安になり始めたところで、もういいよと言われて一気に詰めてた息を吐き出す。
「どう、少しは落ち着いた?」
 そういえば少しだけ体が軽くなったというか、罵詈雑言の類は少なくとも離れていってくれてるし、さっきと比べて心臓も体の震えもなくなっている。こんなすぐに潮が引くように気分が晴れるなんて、今までなかった。
 顔色が少しよくなったねとネモちゃんからも優しい目と言葉で返される。
「気分転換って簡単に言うけどさ、娯楽だったり食事だったりで解消されるものじゃないとき、外に出られないような船内だったら手詰まりになっちゃうんだよ」
 だから息を整えるんだ、ゆっくりと長く、そこを意識してなんども繰り返していると体の緊張がほぐれてくる、すると心にも少し余裕ができるんだ。一番手軽で気休め程度にしかならないやりかたかもしれないけど、意外と効果は高い。
「震えが止まらないとき、不安で押し潰されそうなとき、落ち着けって心で思っても止まらないときは、むしろ焦りでガチガチに固まってる体に止まれって言うんだよ」
 今みたいに治るときもあるから、もしもまた襲いかかってきたら試してみてよと言う。
「ありがとう、ゴッホなんかに気を使ってくれて」
「別に、きみだってこの船の船員だ。仲間のメンタルケアは大事だよ」
 一人でうずくまる必要はないんだよ、マスターのところでも、他のネモのところでもいくらでも居場所はあるんだから。
「大丈夫もう、きみは一人じゃない」

一ちゃんとぐだ子と髪を結う話

「一ちゃんもそっちの姿だと髪長いよね」
 邪魔になったりしないと聞いてくるマスターに、若いときはあんまり気にしてなかっ
たけどねえと前髪をつまんで返す。
 なにせ年老いてからは髪なんて抜けるか白くなるかだしね。
「ちょっと触ってみていい?」
「いいけど、そんなに長くないし、楽しいかな」
 ありがとうと言いながらクシを通していく、僕ってば癖毛だからとおりもよくないだろうに、それでも綺麗だよって言いながら整えてくれる柔らかい女の子の指に、少々こそばゆい心地がしつつ、まあなるようにしかならないかと放置しておく。
「昔は結ったりしなかったの?」
「道場生だったときなんかは、結ってたりもしてたけどね」  ある程度は手入れもしてたんだよ、身だしなみくらいは整えておかないとなって。ただまあ色々とあって、京都へ行くことになったときに結うのもやめちゃったんだよね。 「なんで、綺麗なのに」
「パッと見で顔を隠せないのは都合が悪くてね、これならうつむいてたりしたら多少は
隠れるでしょ」
 確かにと言いながらマスターは器用に結いあげていく。写真がまだ一般的になるより前だったとはいえ、人斬りも多かった時代だし、下手に顔が割れているのは困る。
「できた」
 沖田さんと同じにしてみたよといい笑顔で鏡を渡してくれる、真っ赤なリボンに、なんでまたこの色にとつぶやけば、可愛いかと思ってと言う。
「いやあ大人の男に、可愛いはないでしょ」
「でも似合ってるよ」
 無邪気な少女を喜ばせるために、ありがとうねえと返すけど、昔の女学生みたいな頭がどうも落ち着かない。
「おい斎藤はここに、なにしてるおまえ」
 どう反応すべきか困っているところに、音も遠慮もなく副長が入ってきた。霊体化して消え去りたい気分だったけど、名指しで指名されているのと、この頭でカルデア内を逃げ回る勇気がない。
「斎藤さんの髪をいじってみたくて」
「ああ、たまに沖田にもしてやってるな」
 懐かしいじゃねえかおまえ若いときはよく結いあげてただろ、と話を振られても、こんな可愛らしいもんじゃないですよと誤解を生まないように返す。
「道場で面をつけると、流石に邪魔になるからね」
「まだ俺たちが道場に居たころ、髪結いの紐忘れて、俺のやったな」
 いつからか見なくなったけどそんな色だったよなと言われて、そんな若いころの記憶あるんですかと溜息を吐く。
「土方さん赤いリボンしてたんですか?」
「そんなわけあるか、赤い紐だ。面をつけるのに使ってたんだよ」
 あれどうしたんだと聞かれて、消耗品なんで切れちゃったんですよと肩を落として返す。
「そうか、ならもう一本やる」
 そいつは邪魔だろと上着から替えの紐を取り出してくる、いやなんで持ち歩いてるんですかこんなもん。確かに長いですけど、これくらい慣れたもんですよ。
「そういえば土方さん、斎藤さんを探してたんじゃ」
「ああ、ちょっと野暮用でな」
 借りてくぞと逃げる暇もないまま、首根っこを掴まれて引きずっていかれる。逃げ場を用意してほしい、この人いつも事情を考慮してくれないから。
「あの紐、切れてないだろ」
「なんでそう思うんです」
「あの日も身につけてたなら、てめえの首ごと切り飛ばされてる」
 だったら意味もなく結うのをやめたんだろうと指摘され、さてどうでしょうねと返す。
 俺が京都へ行ったのは新選組結成のためじゃない、江戸で刃傷沙汰を起こしたからだ。色々と始末をつけてもらい難を逃れたものの、こんなはぐれものを引き受けるのはさぞ骨が折れただろう。
「今度から嬢ちゃんに結ってもらえ」
「いやですよ、慣れちゃったんですもん」
 副長も結うんなら考えますよ、お揃いにしますと笑って返せば今は無理だろうと淡々と返ってくる。でしょうね、僕の頭もさっきから二度見されてます。
 女々しいから口にはしないんですけどね、赤い紐が当時の俺には縁のように見えて、これさえ切れなかったら、もう一回あんたに会えるんじゃないかって思ったんですよ。

一ちゃんと、サバフェスのみんなで、性癖がおかしい話

「一ちゃんって、ヒール似合いそう」
「なにをどうしたら、その結論に至るの?」
 差し入れで持ってきたのコーヒーじゃなくて、なんか危ない薬品だったと首を傾げると、マーちゃん昨日は徹夜だったから、テンションのネジ吹っ飛んじゃってるんだよ、まあ私もなんだけど、と乾燥して干からびそうな笑みで眼鏡をかけた刑部姫さんが、同じように画面を凝視しながらエナジードリンクの缶を片づけていた。
「あんまり無理しちゃダメだよ、変な幻覚が見えてくるのは体が限界ってことだからさ、適度に休まないと寿命縮むだけ」
「幻覚じゃないよ、似合うと思うの!」
 いやいや傾国の美女から紅顔の美少年まで、言葉のとおりの人物が揃ってるこのカルデアにおいて、かかとの高い靴くらいはまあ見慣れたもんだけど、いずれ似合うのは美に優れた人ばかり。僕に似合うと称される理由は特に思いつかないんだけど。
「だってほら足の形が、綺麗だもん」
「あーちょっとわかるかも、男っぽいけど線が細い人が履くと、より背徳感とか、いけないことしてる感じが強調されるっていうさ」
 でもニッチな層向けだよねと言う刑部姫さん相手に、いけると思うんだけどなあとマスターちゃんは返す。
 いやだからなんの話よ、というかさっきからなに目線の話なのよきみたち。誰か助けを求められないか、視線を向けてみても冬場だというのに水着姿のサーヴァントたちが、画面に向けてペンを走らせ続けているだけだし。
 これどんな集まりなの? 少なくとも野郎が来る所ではなさそうだけど、差し入れして来てやってくださいって、荷物を押しつけてきたロビンフッドくんは後で問い詰めよう。
「お疲れさまです、みなさん進捗は」
「やめなさいシールダー、今この場でその単語は禁句よ」
「すみません、ですが締切までの時間も限られてますから」
「わかってんのよ、それくらい」
 そこの姫さまに触発されて、サムライものなんて書いてみたけど、やっぱり剣劇の資料が全然足りないと叫ぶ彼女と、バッチリ目が合った。
「あるじゃない、資料が」
 ロビンからの差し入れだってと言うマスターちゃんに、流石だわと嬉々として刀を構え始める。いや待ちなよ、私闘はご法度じゃないのここ?
「別に、首取るわけじゃないし。ちょっとあんたの剣を見せてほしいだけ」
 ついでに進みの遅さに溜まった鬱憤を吐き出したい、とつけ加えるけど。ちょっと勘弁してくれないかな。というかあなた根本的に剣士でもないし、僕からしたらちょっとやり難いんだけど、そんな弁明を聞き入れる猶予もなく、襟首を掴まれて引きずり出されてしまった。

「さっきの話だけど、確かにヒールっていいかもね」
 面白そうじゃないとジャンヌ・オルタちゃんが言うので、正気なのと思わず聞き返す。ああでも今の彼女はバーサーカーだっけ、どこかトリガーが吹っ飛んでる可能性は、なきにしもあらずなのか。それはいいけど、僕の足で試すのはやめてくれないかな。
 負けたからこれくらい協力なさい、という圧倒的なまでの自己勝手な理由で普段身につけない物を履かされるこっちの身にもなってほしい、押しこんだ足からふくらはぎの辺りがすでに限界だからね。
「剣を振るうときの足さばきとしては、最悪の組み合わせだよ」
「でも蹴り技が使えれば、見た目は派手だと思う」
「いいわね、採用」
 筆が進むわと喜んでくれてるけど、そもそもなんで作家系じゃないきみたちが本なんて作ってるのさ。
 かいつまんで教えてくれたのは、商業としてではなく、個人が自分の好きな創作をするためのイベントが開催されているということ、そんな中である夏に一度本を作って以降、冬のイベントでもこうして集まって本を作るようになったのだということ。
「つまりは盛大な趣味の時間です」
「その割にはすごい気迫だけど」
「いつでも面白い物、前よりもいい物を作りたいじゃない、そのために妥協はできないの」
 どれだけ修羅場くぐってきたと思ってんのと言うオルタちゃんの鬼気迫る表情に、まあ頑張るのはいいけど無理はしないようにねと苦笑いして返しておく。
「あと、ヒールのキャラはやっぱり女の子のほうがいいと思うよ?」
「いやよ、もうすでに主人公の設定は組んであるもの、今更変えられないわ」
 相対する敵の造形に、いまいちピンときてなかったため筆が進まなかったらしい、それも解決できたから一気に描きあげていくわよと気合いを入れてる。

「それで出来たのかこれですか」
 モデルをしてもらった以上は一部あげるわと、親切にもイベント前に一冊もらった本をしげしげと見ている沖田ちゃんに、なんか恥ずかしいからあんまりじっくり読まないでくれないかなと返すと、いやでもこれ面白いですよと意外にも好評だった。
「オルタさんの漫画、かなり人気なんですよ」
 ノッブも気に入ってたので、新刊が手に入ったって教えてあげたら喜ぶでしょうねと、にこやかに言う。まあフィクションにまで口出しするのも野暮かと、やめておくことにする。
 ロブンフットくん曰く、毎回彼女たちのサポートとして応援しているらしく、今回のネタで困ってるのを見て僕をけしかけることを思いついたと言ってた。そういうことなら、事前にもっと相談してくれたらよかったのに、彼もつくづく人が悪い。
「剣劇は色々な創作で扱われますからね、色んな解釈があって面白いです」
 今度から斎藤さんもヒール履いて、相手の顔面蹴るくらいしてみたらどうですと言うので、絶対に無理だし二度と履きたくないと首をなんども横に振る。
 一時間ほどで根をあげてしまったんだ、通常時なんて無理だよ絶対に。
「ええ、でもすっごく似合ってたって聞きましたよ」
「誰よ視力検査受けたほうがいい人」
 みんなネジ吹っ飛んでたから、わけもわからずにいいって言ってただけかもしれないでしょ。
「土方さんは見てみたいって言ってましたよ」
「ええー勘弁してくださいよ」
 よかったらどうぞと渡された靴は、捨てるにも申しわけなくて部屋に仕舞ったままだ。彼女たちが作る創作歴史とは、時に奇想天外なものだろうけど、そもそも僕たちそのものが普通ではないので、なんとも言い難い気分になっちゃうよ。

「おう、ごっほじゃあない対」
 ちょうどいいと声をかけられてビクリと肩を震わせる、時間あるかいという問いかけに、もちろんですと震える声で返せば、ならちょっと筆を貸してくれよと笑顔で返された。
「筆、えっ、筆ですか?」
「そうサ、これからちょっとばっかし富士の絵でも描こうと思ってなあ」
 手伝ってくれ大仕事だと言うので、そんな大役をゴッホが仰せつかってよろしいのですか、と信じられないくらい大きな声で返してしまった。
「日本じゃな、年が明けて最初に見る夢で吉凶を占う習慣があるのサ」
 そのときいい夢が見られるように縁起物を描いた絵を枕元に忍ばせる、というのが慣習なんだと、着物の袖を留め紙と絵の具の準備をしながら教えてくれた。
 特に縁起物で人気なのは富士、出てきてくれたら一番いいという。そして富士山を描かせるってんなら、おれの右に出るもんが居ちゃあ困る。
「それじゃあ、北斎さまの絵を、枕に?」
 あまりに恐れ多い所業に、敷いて寝るのが普通だろうけど、枕元に飾るでもなんでもいい、とにかくそれがあることが重要なんだよと朗らかに笑い飛ばしながら言う。
「まあ、おれじゃあ夢占いなんてできやしないからな」
 ようは気の持ちよう、それであの子が幸せになれるならお安い御用ってもんさ。
「さあて、どんな富士がいいかねえ」
「宝具で描かれる、大きな波と富士山では、いけませんか?」
「うーん、一捻りほしいねえ」
 せっかくあんたを呼べたんだし、星空でも添えるのはと言いかけて、ゴッホの星空は、禍々しいので、あまりよくはないかと尻すぼみになりながら返す。
「ますたあ殿はそんなこと気にしちゃいないよ、あんたの絵だって、綺麗で好きだって言ってたぞ」
「はい、それは、ありがたいんですけど、うーん」
 どうしたものか、自分に描けるものなんて、しかもそれで喜んでくださるものなんて。頭の中を混ぜ返して考える、素晴らしい景色、素晴らしい花、マスターさまが微笑んでくださるような、なにか。
「あっ、そう、そうです、アーモンドの花」
 前にマスターさまがお好きだと言ってた、日本の桜に似た白い花。それがとても綺麗だって、あれならきっと富士のお山にも合う。
 そう提案したら、花姿ってのはいいねえと笑顔を見せてくださる。
「あーもんどか、落花生の仲間みたいなもんだろう?」
 あれの花がこんな綺麗なもんだとは、知らなかったねえと筆を走らせる北斎さまはおっしゃる、てっきり豆の花みたいなもんかと思ってたと。
 日本の人が見ると、桜と見間違えてしまうそうで、それくらいよく似た白くて小さくて春先に咲く、これを見かけるとホッとするものですから。
「喜んで、くださるでしょうか」
そりゃ北斎さまの描く絵であれば吉夢が見れると思いますが、ゴッホまで手を加えてしまって、むしろ夢見が悪くなってしまうのではないでしょうか。
「大丈夫だよぉ、どんなもんでも心をこめて描いたなら、きっと効果はあるもんさ」
 北斎さまはそうおっしゃいますけど、ゴッホは心配です。サーヴァントは夢を見ないから、もしマスターさまが悪夢にうなされていたとしても無力。だけど悪夢が心を蝕むのはよく知ってます、夜に思い出されるそれが夢なのか幻覚なのか、わからない狭間で苦しんできた記憶が刻みつけられてしまったりなんて。
 もし、もしもそんなことがあったならどうしたら、ああでも貴重なお休みの時間を叩き起こすなんて、申しわけない。

「昨日の夢?」
 すごく楽しかったよと笑顔で話してくださる、富士山を背景にたくさんの桜の
 花が咲く丘で、サーヴァントのみなさまとお花見に出かける夢だったそうです。
 きっと北斎ちゃんとゴッホちゃんの絵のおかげだよと、笑顔で、踊り出しそうなくらい嬉しそうな顔と声で。
「今年の夢はね、ゴッホちゃんも一緒だったよ、日本に来れて嬉しかったって」
「ああはい、そうですか、日本に、ゴッホが。それは、ええ、行ってみたいです」
「行けるといいねえ、桜の季節は本当に綺麗だよ!」
 初夢は叶うって言うから、もしかしたら本当に行けるかもしれないよと、少し興奮気味に語る彼女に、もしかして、もっといいことがありましたかとたずねる。
「えっと、なんで?」
「ああいえ、とても浮かれてらっしゃるので」
 飲めないお酒をたしなまれて、心が雲のように弾んでいるかのような、そういう気分になるときゴッホ知ってます。大好きな人に夢でも会えたとき、そうではありませんか?
 そっと耳打ちすると、一気に顔が茹であがったように顔が赤くなる。
「やっぱり、そう、なんですね?」
「イヤあははは、あの、ゴッホちゃん、なにを」
「初夢は、叶うんですよね?」
 叶うといいですねマスターさま、それだけ耳打ちしてそっと離れた。

あとがき
11月末くらいから、葵のtwitterにて毎日小説を書こう企画のまとめです。
2021年1月3日 Twitterより再掲

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