Ace of Spades
「はい、こちらティールームAce of Spadesでございます。ご用件はなんでしょうか?
奥の部屋にご予約を……かしこまりました、その日であれば問題ありません。
場所はご存知でしょうか?ええ、そちらの大通り沿いですが、少し外れた裏路地にありまして、少々奥まった場所にあるので。王冠を被ったスペードのマークの看板が目印です。看板の先、少し狭い道なのですが、そこを真っ直ぐ通っていただけると。到着いたします。
かしこまりました、ではご来店、お待ちしております」
庭木の手入れを終えて一息吐く、秋咲きのバラがそろそろ見頃を迎える頃なのだ。ここは丁度、店の中でも一番展望がいい部屋に面して向いてるから、手入れはしっかりしなきゃダメだって前からケインさんに強く言われている。
こだわりがある店主は、よく自分でやりますからと言うけど、あの人はあの人で沢山仕事があるわけだし、僕にできることは手伝わないと。
「カトラリーくん、掃除、もう終わった?」
「今丁度ね、どうして?」
「予約のお客様がもうすぐ来られるから、早めに片付けてほしいんだって」
予定時間より早いけど、相手の予定が変わってしまったらしい。
「ふーん、ということはテイクアウトになるかも」
「そうだね。お客様次第だろうけど……」
準備はしててもいいだろう、ということらしい。呼びに来てくれた彼の胸ポケットにはサングラスが入っていた。
「まだ店の方、任せてても大丈夫?」
「うん、ケインさんもいるし。今は、そんなにお客様もいないから」
わかったじゃあ用意してくるって言って、開けられた庭先へ通じるドアから上がり、ガーデン用品の棚に掃除用具と剪定用のハサミを仕舞う。
軍手をしていたとはいえ、砂で汚れた腕と合わせて手を洗い庭仕事用のシャツを脱いで洗濯籠に入れると、制服のシャツとズボン、カフェエプロンの制服に着替える。
最後に仕事道具を確認する、どれもすぐに使えるように手入れはしているけど、いざってことがないように点検はしないと。
既に準備が終ったらしいキセルの鞄が置いてある、点検を終えてから僕を呼びに来てくれたんだろう。
広げていた道具の最後の一本まで問題がないことを確認して、再び鞄へと片付ける。一呼吸置いてから店先へ戻ると、カウンターにはキセルだけが残っていた。
「あれ、予約のお客様もういらしたの?」
「ううん、ケインさんは部屋の準備に行ってるだけ」
急に来るくせにセッティングにはうるさいらしい、面倒なお客様だなと心の中だけで一つ愚痴をこぼす。
「あら、カトラリーごきげんよう」
僕のことを見て席を立つと着ていた濃紺のドレスの裾を摘んで、軽く会釈してくれる。嫌味なく自然に流れる所作に見惚れるお客様もいるが、本人は当然とばかりに気にも止めていない。そんな常連さんに、いらっしゃいませとこちらも礼を返す。
「今日もお散歩ですか?」
「ええ、やしきに居てばかりでは、わからないこともたくさんありますからねえ。なにかすてきなものが見つかるかもしれないでしょう、もしもすてきなドレスとであえるかもしれませんし。それをぼくが身にまとうにあたいするかいなか、この目でたしかめなければ気がすみませんから」
そう微笑む相手に、付き添いで来たアレクサンドルさんは苦笑する。
「カーチェ、わざわざあなたが足を運ばなくてもよろしいのですよ」
「なりません。ぼくだけではなくアレク、あなたのものもかくにんしているのです。ならぶのにふさわしいこーきな立ち姿でいていただかなければ、いみがありませんので」
「しかしカーチェ、あなたが街を歩く姿は目立ちますので」
「ちゃんとまち歩きにふさわしいドレスをきているでしょう、可憐なぼくにめをうばわれるのであれば、それは幸せなことです」
そんな会話を続ける二人に、紅茶のおかわりをたずねると是非ともお願いしますと返される。
二人以外に居るのは近所に住む老夫婦と、アフタヌーンティーを楽しみに来て下さったご婦人のグループだけだ。
おかわりの紅茶を淹れて持って行くと、ドアベルが軽やかな音を立てた。
「いらっしゃいませ」
新たにいらしたお客様にキセルが対応すると、相手は予約の者だがと不遜な声で返す。
「はい、うかがっております」
「店主は君か?」
「あ、えっと違います……」
「なんだ、時間通りに来た客を置いて何をしている」
「奥で、あの、お迎えの準備を」
「充分にあったろう、私は忙しいんだ、早く店主を呼べ」
急に来たのは自分の方なのに、随分な言い方だなと思いつつ。大丈夫だろうかと様子をうかがう。フォローに入るべきだろうかと考えたが、その直後、申し訳ありませんと奥から声がかかった。
「奥の部屋の準備をしておりまして、私がご案内します」
大丈夫ですのでお店をお願いしますととキセルの肩を抱いて囁くケインさんに、小さく頷いて彼はカウンターへ戻って行った。
まあり機嫌がいいとは言えない男にも、いつも通り笑顔で応対し、奥へと案内するケインさんと男と周りの付き人を見送る。
「あら、あのかた」
不機嫌そうな男の顔を見たエカチェリーナさんが呟く。
「ご存知ですか?」
「……いえ、みまちがいでしょう。おかわりいただけます?」
「あ、すみません今すぐ」
二人のカップに紅茶を注ぐと、ありがとうございますと僕を見て綺麗に微笑む。その間にエプロンのポケットに、素早くカードを一枚差し入れられた。
「おしごと、がんばってくださいね」
「ありがとうございます」
できるだけ急いで戻って、カウンターで息を整えているキセルに大丈夫とたずねる。
ああいう高圧的な客は彼が苦手とするタイプだ、僕も好感は持てないけど。
「あう……ごめんね、カトラリーくん。俺、ちゃんとしようって思ったんだけど」
「大丈夫、キセルは何も悪くないよ。でも気が立ってるのは間違いなさそうだね」
「うん、どうしよう俺のせいで余計に……」
「考えすぎだよ」
それにと声を落とし、エカチェリーナさんから渡されたカードを、カウンター裏で取り出す。
「塔か」
災い、厄災、不幸、そういうものを表す。あまり良い雰囲気じゃないけど、どう転んでも危険だということを知らせてくれている。二人の方を見ると、談笑しながらお茶を楽しんでいる。キセルは視線だけで奥へ行くように促してくれる。
「大丈夫なの?」
「うん、今だけなら」
その声に押されて奥の部屋へと繋ぐ廊下を音を立てずに歩き、掛けられていたタペストリーの裏から部屋の中をのぞき、客人とケインさんが話をしているのを確認する。オーダーを取り終わったらしいケインさんが、こちらへとやって来る。この部屋には専用のキッチンと紅茶の棚がある。その間から様子をうかがう僕に気づいた相手に、もらったばかりのカードを差し出した。
「エカチェリーナさんから」
小声でそう伝えると小さく一度頷いて微笑みを深める、交渉するのに相手のことは調べてるだろうけど、もしもってこともある。充分、気をつけて欲しい。
戻ってみると、キセルが二人にと試作中のブドウを使ったタルトを用意していた。プレートに盛り付けるのを手伝って、再び二人の席に向かうとまあと嬉しそうな声が上がった。
「あきのしんさく、ですか?」
「まだ試作品なので、感想を聞かせていただければと思って」
「ふふ、お菓子や料理もどんどん充実していってますね」
「やっぱり、お店独自の物も出したいので」
簡単な焼き菓子や、中で調理できる物なら自分達でどうにかできるけど、凝ったケーキなんかは洋菓子店からいつも注文してる。
とはいえ、それだとやっぱり面白みがなくなっちゃうし、紅茶に凝ってるケインさんがより合うものをって試作を始めて、付き合ってたらなんだか僕も得意になってきた。
「とてもすてき。やはりきせつをかんじる、ふるーつはいいものです」
「そうですね、中の土台は紅茶のようですが……今は香りが飛んでしまっていますね」
それが少し残念でしょうかと返すアレクサンドルさんに、メモを取りつつそっかと返す。
「やっぱり茶葉を変えるか、土台自体を変えた方がいいですよね」
「今お使いのものは?」
「アッサムなんですけど、ダージリンかアールグレイに変えようかなって相談してて。もうすぐ秋摘みの紅茶も入って来るので、それで試作して決めようって話をしていたんです」
「ああ、今年の秋積みはどうやらとても出来が良いそうですよ。ご店主は既に存じ上げているかもしれませんが」
「とても楽しみにしてました。お菓子に使うのはもったいない気もするし、プレーンに戻そうかな」
「おいしいのであれば、よろしいのではなくて?ほかのふるーつはかんがえていませんの?」
「洋梨とりんごの新作は来週から並ぶ予定ですよ」
「あらそれはすてき。あきのふるーつてぃーも、たのしみにしていますよ?」
「はい、よろしくお願いします」
奥のご婦人から声がかかって、一礼してオーダーを伺いに行く。カウンターで片付けをしている間に随分と気が落ち着いたらしいキセルも、常連の老夫婦の相手をしている。穏やかな老夫婦は、孫が遠くの街に住んでるからって僕等のことをよく気にかけてくれる。優しい人なのだ。
三組のお客様が帰っても、奥の部屋のお客様はまだ残っていた。
心配そうに眺めるキセルに大丈夫だよと何度か声をかけたけど、それでも不安は拭えないらしい。そわそわと落ち着かない彼に、少し落ち着いたらとお茶を淹れてあげる。
日本茶が好きなお客様もいるからってケインさんは言うけど、そのほとんどは彼のために仕入れた物だ。
「……ありがとう、ね」
「ううん、お客様もいないし、僕も休憩」
いいでしょと隣に腰掛けてたずねると、うんと小さく頷いて淹れたばかりのお茶を口にする。店内で流している落ち着いたジャズのBGMを聞き流し、時計を眺める。すっかり陽も落ちて、どんどん外は暗くなって行く。
「今日どうなるのかな?」
「さあね。この分だと早仕舞いにして。夜からまた営業かな」
何をするのかはまだわからない、一体どんなことを求めているのか、僕らは知らないし、昔は知らなくてもいいって言われた。でも今は違う。
左腕に無意識に触れていた僕の手を、隣に居たキセルがそっと握って離す。
「カトラリーくんも、無理しないで」
「ごめん、別に無理してるわけじゃないよ」
まあ、おまじないみたいなもの、そう呟けばそうだねと彼も自分の肩の辺りを撫でる。ここでしょと背中に触れると、うんと小さく呟いた。
「煙草、吸ってきたら?」
「ううん。それは大丈夫」
後で迷惑にならないようにと言うと、ごちそうさまと飲み終わった二人ぶんのカップを手に再びカウンターに立つ。
その時、奥のドアが開いて廊下を歩く数人の足音が聞こえてきた。休憩してたなんて文句をつけられると面倒だし自分もカウンターに戻った。
「それでは予定通りに頼みましたよ」
「承知いたしました、ではお気をつけて」
深々と礼をするケインさんに、僕等も合わせて礼をする。それを見てそうだと男は口を開く。
「店員の教育はもう少し徹底したらどうだね?私のような人間が出入りするのだろう、失礼があってはいけない、と思わないか?」
キセルを見て言う男に、思わずうっと顔を歪める彼の手を握る。
「お言葉ですが、彼等がお客様に対して無礼を働いたことはありません。彼等は私の家族ですから……無体を働かれたとなれば、それなりの仕打ちが待っています」
笑顔のまま凄みを効かせて言うケインさんに男はそうかと引き気味に言う。
「オーダー、ありがとうございました」
「ふん、頼んだぞ」
そう言うとお付きの黒服たちを連れて出て行った。
「まったく、とんだお客様でした」
少し疲れた口調でそう呟くと、もうお客様もいないし今日は早く閉めましょうかとケインさんが提案してきた。
「じゃあ看板、中に入れちゃうね」
「ええ、お願いします」
表の立て看板を取りに行くキセルを見送り、急ぎのお仕事ってことでいいのとたずねる。
「突然来てぶしつけにも本日決行しろと。まあその分、料金は上乗せしたんですが」
「へえ、こっちの都合もなにも、あったものじゃないね」
「一分一秒をも争うということだそうです。そこまで追い詰められているのであれば、そもそも投了するのも手段ではないか、と私などは思うのですが」
それは人によりますかねと笑うケインさんに、そうなんじゃないと返す。
勝つために手段を選ばない人種なんていくらでもいる。そういう奴は嫌ってほど見てきた、僕も、キセルも、ケインさんも。
「やはり私一人で行きましょうか」
「それはダメ、僕もキセルも一緒に行くよ」
絶対にと付け加えると、頼りにしていますと微笑んで返される。看板を中に入れて、closeの札を下げて閉店の準備を済ませたキセルと、三人で着替えに向かった。
「依頼主のオーダーは殺人と物品の確保です。ターゲットはある記者、具体的に何をとは教えてくださいませんでしたが、みつかるとまずいネタを掴まれたので消してほしいとのことです」
三人での軽い夕飯を終えて、テーブルに着いたままケインさんは説明していく。
「それをわざわざ僕等に依頼する理由は?」
「ターゲットを金で釣ることができなかった、それを拒否された、ネタを盾に巻き上げられている。そのどれでも正解でしょう」
我々がしなければいけないのは、ターゲットの消滅と証拠物の引き渡しであることに変わりありません。
建物の見取り図とターゲットの写真を机に並べ、これを取り揃えて欲しいとのことですと説明を続ける。
「証拠物っていうのは、記者なんだから……やっぱり写真とか?」
「写真と撮影したフィルム、あとは帳簿だそうです、いやはや何をしていたのやら」
それでは配置について考えましょうかとケインさんが地図を指す。
現在、ターゲットの家は既に調べ済み、明日までに完遂しろという。
「おそらくターゲットと目標物は同じ部屋にあります、ターゲットがこちらの脅しに屈するようであれば在り処を聞き出せるんですが」
「そんな時間ないんじゃない?今夜中なんでしょ。それなら殺して部屋に火を付けちゃった方が早いよ」
郊外の一軒家住まいみたいだし、火を付けても周囲の延焼はそこまで酷くないだろう。
「証拠物の確保と引き渡しまでが依頼ですので、こちらでの身勝手な処分は、最終手段といたしましょう」
書斎の位置、屋敷周辺の人通り、退路の確保、その他の事後処理なんかを相談する。
計画がまとまった所で、食後の三人分の紅茶を注ぐとそれぞれの前に置く、緻密な装飾がされたスペードの模様が付いたティーカップは僕等のために作った特注品なんだって。
「それでは、皆様、抜かりなきよう」
それを合図にお茶をいただく、香りの良いダージリンの温かい味がした。
「今年の秋積みは出来がいいんだって」
アクレサンドルさんに教えてもらったことをそのまま伝えると、そうですか楽しみですねえと店主は笑う。
「今回の報酬をいただいたら、折角ですからとっておきの物を仕入れましょう」
折角ですから休暇を取って、三人で買い付けに行ってみましょうか。
「無理にとは言いませんが」
「ううん、一緒に行くよ」
「俺も」
「そうですか、では一緒に参りましょう」
この仕事が終わったら、約束ですよ。
裏通りから屋敷の壁を乗り越えて、先にキセルが中へ入る。しばらくして警報機の解除が完了したと連絡を受けて、僕等も別れて中に入る。
家の中を進み、ターゲットと証拠品を探しに向かう。多分、書斎に集まってるだろうけど、全部そこにあるとは限らないから、手分けして家の中を探す。
その時、音は小さいが銃声が聞こえて思わず体が強張った。急ぎ足でいながら、音の出所へと向かう。部屋の中で人を見下ろして片付けをしようとしていたキセルがいた。
「ターゲット?」
「ああ、事前情報通り、奥の書斎にいた」
ただ予想外だったのは気配を消し、警報機も切っていたはずの相手に悟られたこと。
「この部屋には別のセンサーが付いてたんでしょうね」
部屋に付いた探知機のセンサーは既に作動を止めている。キセルが相手を撃ち抜いた時に、部屋ごと止めたらしい。
「この部屋にはそれだけ、みつかってほしくない物を隠している、ということでしょう」
死体を見分し銃弾を回収し終わったキセルの代わりに、死体に空いた穴にナイフを突き立て死因を偽装する。
僕等も残りの仕事分を片付けてしまわないといけない。
「写真はこれでいいんだよね、証拠のネガと帳簿は……」
「そいつは多分あそこの中じゃねえか?」
書斎から出て、隣の部屋にあった鍵付き金庫を指して言う彼と場所を変わってもらって、シリンダー錠の鍵番号を揃えていく。昔習った方法だけど、一般普及の物なら大抵は開錠できる。
二十分ほどかけて全てのダイヤルを揃った音がし、開錠が完了する。中身を改めれば資料にあった写真のネガと帳簿が入っていた。
「うん、これで全部完了かな」
「お手数をおかけしました、こちらも加工はもういいでしょう」
怨恨殺人という方面でどうにか誤魔化せると思いますと言うケインさんの通り、死んでからめった刺しにされた男をナイフ共々床に転がす。
さてと息を吐き、汚れた手袋を外し新しい物に付け替えると、机にあった紙の束を手に取った。
「それ、押収品じゃあねえよな?」
「ええ違います。ですので、これは置いて行ってもよろしいでしょう」
お二人とも、ご苦労様でしたと言うケインさんに、別に大したことじゃないけどねと返す。
「でも本当に、怨恨殺人で大丈夫なの?その人、記者だよね」
「ええ。経済界、財閥関係者の周辺を中心にスクープを書いていたんですが。近く部屋を引き払うようですし、もしかしたら国外逃亡を考えていたのかもしれません」
「それなりに大物なんじゃねえの、本当にやっちまって良かったのか?」
「真っ当なジャーナリスト、とは言い難いのは間違いありませんから。ネタを元に多方面に金銭を請求するなど、悪行の数も多いのです。今回の件もそれらが飛び火したものでしょうが、しかし……」
「どうかした?」
「いえ、もう少しまっとうな道を選んでいればこうなる運命もまた避けられたかもしれない、それだけです」
我々が言えたことではありませんねと言うと、証拠物を箱に梱包し、中へカードを一枚入れる。
「私はこちらを届けて参ります、お二人は先にお戻りください」
そうして、今夜のお仕事は終わった。
あまり気分がいいとは言えないけど、帰り着いてサングラスを外し青い顔をして居たキセルに、シャワーを譲って仕事道具を片付ける。
もういいよと早めに出たらしい相手に声をかけられて、僕もシャワーを浴びる。鏡に映った顔は、そんなに変わらないように見えるけど、そんなことない。いつだってそうさ。
左の腕に施されたスペードの模様を撫でる。水に濡れても皮膚の下に彫りこまれた墨は消えることはない。
大丈夫と口の中で呟く、もう僕等は大丈夫なんだ。一人じゃない、そう思えるようになった。忌々しい記憶を追い出して、シャワールームを出てダイニングへと向かう。
頭からタオルをかけ上裸のまま膝を抱えてソファに座るキセルをみつけ、ちゃんと服くらい着なよと置いてあったシャツを差し出す。熱を冷ましたいと小声で呟く彼は顔を上げない。
右肩に大きく取られた僕と少しデザインの違う、彼のスペードのマークに触れる。
「大丈夫だから」
「わかってるよ?でもね」
「役に立てることをしようって決めたでしょ、ケインさんのために」
「うん、だけど……本当に役に立ってるのかな?俺、わからないんだ、ケインさんを巻き込んでしまってるんじゃないかって」
「またそれ……」
それはたまに考えてしまう。僕みたいなのを抱えてしまって、わざとあの人はこういうことをしてるんじゃないかって。
本当はいない方がいいんじゃないかって思うんだ、だけど。
「おや、二人ともまだ起きていらっしゃったんですか?」
すっかり遅くなってしまいましたと笑顔で告げるケインさんに、おかえりと小さな声で返す。
「依頼の方は無事に完了しました、キセルさんのお陰ですよ」
「俺、なにも……」
「そう仰らず、顔を上げてください」
彼の傍に寄って頭を撫でると、んと小さく声をあげてゆっくり顔をあげた。
「キセルさん、カトラリーさん、本当にありがとうございます」
子供のように頭を撫でられて、なんだか少し気恥ずかしい。けど、嫌じゃない。
「約束通り、おやすみを取って出かけましょう。ああ、無理はしないように、ね?」
「うん」
「約束、だからね」
「心外ですね、私共はお客様のオーダー通り、対象の排除と指定の品物三点を奪取し、ちゃんとお手元にお送りしました。
ええ、ええ、仰る通りです。しかし、そちらの件については最初から契約に含まれておりませんので、私共では対処いたしかねます。
利用はこの一度きり、今後一切の関わりは持たないと最初に誓約書も交わしております。ならばお手元に荷物が届いた時点で、私共と貴公とはなんら関わりのない赤の他人ということです。
どのように仰られても結構、ですが弁護士が必用なのはむしろ貴公の方ではありませんか?ふふ、これは失敬。しかし事実そうでしょう。
……残念ながら一度きりのオーダーのお客様については、こちらに落ち度がない限り追加注文を受け付けてはおりません。
そもそも、そのようなオーダーは私共の手に負えるものではありません。どう見積もっても、私共が提供できるサービスの範囲を超えています。
ですから私は最初に契約を交わす時に言ったのです、行き詰ったゲームを無理に勝利へ導くよりも、投了することで場を綺麗に納めることができるのではないかと。
お喋りがすぎたようです。そろそろ、そちらにもお客様がお見えになる頃では?わかりますとも、そのようなお客様からのお電話をよくお受けしますので。
先ほどから申しあげている通り、貴公のオーダーを私共は二度と受けることはございません。では、失礼いたします」
「これ、今日の注文分な」
「ありがとうございます」
注文内容と違わないか伝票を確認しているとケインさんと届け人、タバティエールさんが話してる声が聞こえてきた。
「にしても、財閥次男の不祥事で今日はもう持ちきりだな」
「例の雑誌ですね、独占スクープとして表紙になった」
「賄賂に横領それだけならまあ、よくある話で済んだわけだけど。マフィアとの癒着とそれに合わせたよろしくない接待、その末に人が死んでんだ。世間は大騒ぎだよ」
人が死んでると聞いて思わず顔を上げる、ケインさんは涼しい顔のまま可哀想な女性ですねと返す。
「子供ができたと言うと、自分の子じゃないとつっぱねられたんでしたっけ?」
「そうそう、それを苦にして女性は自殺。財閥のぼっちゃん曰く娼婦だから誰の子かなんてわからないってことだけど、実際は女学校を卒業したばっかりの娘さんだった」
しかもそのスクープを取り付けた記者まで殺されちまってさ、まあ原稿はとっくに出版社に届いてて、後は発表を待つのみだったんだろ。
「とはいえ、敵討ちは完了したってわけだ。自分の娘を殺した男を、世間的に殺せたんだからさ」
「ええ。それが本人にとって良かったか、はまた別でしょうけれども」
「そうだな。納品間違ってないかい?」
「あ……はい。大丈夫だったよ」
「そっか。じゃあまた」
「ええ、配送ありがとうございました」
手を振って自分の店へ戻っていくタバティエールさんを見送り、知ってたの?とたずねる。
「例の記者の件ですか?」
「そう、だって帳簿も証拠写真も、そのネガも渡しちゃったのに」
「机に残された資料の中に、今週号のゲラが置かれたままになっていました。どのような脅しをかけていたのかは存じませんが、相手の出方は事の顛末として付け加えるつもりだったのでしょうね。実際は本人ではなく、編集部の別の人間の手によって語られることとなりましたが」
「脅しのネタを回収したところで、それはもう既に発表が決まっていた、ってこと」
「ええ、おそらくですがあの男は、今回の件を最初から金で解決する気はなかった」
どんなに外道でも、娘を想う親心くらいはあったというわけでしょうね。
「もう少し毅然と立ち振る舞っていれば、と思うこともありますが……それを我々が口にするのもおかしな話でしょう」
看板を表に出して来たキセルに、問題はありませんか?と問いかける。
「あ、うん……それと、早速だけどお客様が」
どうぞとドアを開け中へと踏み入れて来たのは、水色のドレスに身を包んだエカチェリーナさんと、今日も一緒に来たらしいアレクサンドルさんだった。
「みなさま、おはようございます」
「すみません、まだ準備中なのでは?」
「いいえ、お二人であればいつでも歓迎ですよ」
そう言いながら、ケインさんは仕入れが完了したばかりのケーキやお菓子を片付け、営業の支度を整えていく。
僕かいつもの席へ二人を案内すると、あきのめにゅーできました?とエカチェリーナさんがたずねる。
「はい。あっ、もしかしてそのために?」
「きょうはごごから、べつのよていがありますの。とてもたいくつなようじですので、少しくらいたのしんでもバチは当たらないでしょう?」
「カーチェ、あまりそういうことは外に言わない方が」
「よいではありませんか、ねえ?」
微笑みを崩さない相手に、僕は苦笑いしつつ返す。
「僕等は、口の硬さには自信がありますから」
ねとカウンターに立つ二人へ投げかけると、困ったような笑顔が返ってきた。
「それで、しんさくはいただけますの?」
「ええ準備できてます。紅茶はいつも通り、ロシアンティーでよろしいですか?」
「お願いします」
かしこまりましたと頭を下げカウンターへ戻り、注文を書いていく。お茶の準備を手伝っていると、奥で電話が鳴り出した。
「ああ……すみません、少しの間お任せしますね」
席を外して電話を取りに行くケインさんを視線だけで見送り、またかと心の中で呟く。
「こちら、ティールームAce of Spadesでございます。ご用件はなんでしょう?」
奇銃組が、カフェやりつつ裏で殺し屋やってる……そんなパロが読みたいなって思って書き出したら、カジノロワイヤル来ちゃったんですよ。
公式が神だったんです、知ってました。
イベント中にここまでお付き合いくださいまして、ありがとうございます。
下記ちょっとした設定
ケイン
ティールーム「Ace of Spades」の店主。
元は某国の軍人で、要人警護の任務についていたものの足を負傷して退役。その後、趣味のマジックと紅茶を楽しめるお店を開いた。
……というのが表の経歴で、本来は諜報・暗殺を主に取り扱う部隊に所属していた特殊工作員。
わけあって脱退後、現在は趣味のティールームを営むかたわら、殺しや諜報などの依頼を政財界の要人を中心に引き受けている。
キセル
元アジア系マフィア子飼いの暗殺者。
出自などの理由により、組織内ではかなり酷い仕打ちを受けていたらしく、その時の影響で人間不信。
気配を消す能力は折り紙付きで暗殺の腕も確か。仕事際にかけるサングラスは、大事な人から貰った物であり、かけることで精神が安定する。
仕事の成り行きでケインと出会い、組織解体の手引きを行い、その後ケインに身柄を引き取られた。
カトラリー
裏企業の汚れ仕事専門に育成された孤児。
主に船舶での商談、密輸などの護衛、不要な幹部の切り捨て等を行っていた。その際、給仕の仕事もしていたので接客応対は得意。
貴金属・薬品の鑑定や鍵開けもできる、キセルより落ち着いてるものの、昔を思い出すので権力者はあまり好きじゃない。
企業がケインの部隊により解体された際「身元不明の孤児」としてケインに引き取られた。
ケインさんと二人の出会いとか、刺青の理由とか、気力があれば書きたいです。
2018年9月17日 pixivより再掲