心に悪魔が通ったので
任務の終わりに一服だと刻みタバコを入れて、火をつけていく。その姿を見つめて、なんだかんだで、彼も自分より大人なんだってこと、どうあっても届かないことを思い知らされて、胸の内にもやとしたものが広がる。わかってることなのに恨めしく思うのだ。
ふっと息と共に煙を吐き出す横顔がアンニュイで、綺麗だ。あんまり近くだと臭いが移るからって言われるけど、キセルが身にまとう香りは嫌いじゃないし。むしろ残るから嬉しいかな。
彼のそばにいたい、それは僕の身勝手な願望、叶えられなくっても構わない。こんなことを口にすることも許してはもらえない、本当に身勝手なもの。
「カトラリー?」
どうかしたかと優しくたずねてくる、覗きこんでくる黒い瞳になんでもないよと返す。ならそろそろ戻ろうかと火皿から葉を落として、立ちあがる。隣を行く彼の指先が震えているのを見て取って、伸ばしかけた自分の腕をなんとか引き止めた。
もしも僕がもっと大人だったなら、優しい彼を傷つけることなく、受け止めることができたんだろうか。
「今夜」
「うん、いつものね」
わかってると返せば、悪いなと目を伏せつぶやく。別に謝ることじゃないでしょ、それに僕も悪いんだ。
「う、あ……ん、あっ」
掴んだ体が焼けただれそうなほどに熱い、汗で滑るそれが逃げてしまわないようにしっかりと力をこめて、触れ合う奥を開くように打ちつければ彼の喉から引きつった声があがる。
打てば響く、面白いくらいに。
「あ、ああ。もうダメ、もう」
「うん、だろうね」
僕も限界だと言えば、少し安心したのか涙混じりに鼻を鳴らすの頭を眺める。どうしてこんな他人事なのか、自分でも嫌になる。せっかく繋がっているのに、キセルの顔を見ることが怖くてどうしても、後ろからしか犯せない自分が心底、嫌で仕方ない。
それでも体は二人とも正直で、欲した熱を吐き出してしまうと気だるい体を動かして、もういらないと声をかける。
「うん……ありがとう、ね。いつも」
「別に、気持ちいいし」
だから気にしないでと後ろから頭を撫でると、うんと弱々しい返事が戻ってくる。
用意していたタオルで体を拭い、シャワー浴びて来るとふらりとした足取りで出て行くのを見送って、一人部屋に取り残されてから、大きな溜息を吐く。
思い出すのは一番最初、彼に助けを求められたときのこと。
仕込み銃という特性上から、僕たちはレジスタンスの貴銃士の中でも諜報員に似たことをしている。その仕事には、稀に暗殺なんていうものが含まれていたりする。
これはマスターには教えられてない。基地を取り仕切る恭遠さんと、一部の諜報員と、ナポレオンさんやアリ・パシャさんのように、作戦計画を立てる一部の中心人物だけが知る、極秘任務だ。
僕なんか言い渡されてもそうかと受け止めるだけ、ケインさんはあまり好きではないみたいだけど、その素振りを決して顔には出さない。だけどキセルだけは別だった。
やるべきことの手は抜かないけど、それは目の前のことに必死だから。任務が終わったあと、彼がどれほど震えているのか上の人たちは知らない。
まがりなりにも銃なんだから、人を傷つける目的で作られたのに間違いないんだけど。銃弾の熱さは知っていても、発射された反動で体に走る衝撃や手応えなんて知ったばかりで。それが怖いと、優しい彼は震えてた。悪いことをしてしまったって。
戦争なんだから仕方ないとはわかっていても、それでも罪深さばかりは消し去ることはできない。
「キセル、もう帰ろうよ」
震える彼を慰めるように声をかければ、わかってるとどこか遠くに心を飛ばしたような返事が戻ってくるだけ。
暗い顔をした本人の腕を掴み、引きずるように鈍い足を歩かせて、与えられていた部屋まで戻ってきたところで、ようやく張り詰めていた息を吐き出して決壊したように涙が溢れてきた。
「もう、俺……やっぱりダメだよ」
「そんなことないよ、今日も、ちゃんと任務は完遂したんだし」
そんな問題じゃないのはわかってる、嫌だって拒絶もしないのもわかってる。自分が逃げ出した分の仕事が誰に回されるのか知ってるから、だからなにがあろうとも、任された仕事を投げ出さないんだろう。
終われば労わりの言葉をかけてはもらえるけど、それだけ。マスターには、少し潜入任務で基地を離れていたという報告が届いてるから、いつもなにをしていたのかは知らないけど、頑張ったんだねって言ってくれるだけ。
疲労に対して報酬はどうにも見合わない。しかも、バレたら後ろ指を刺されてしまうことも、みんな覚悟のうえだけど。
でも少しだけ、許されたいと思った。
我儘を言ってもいいんなら、なにかご褒美があってもいいんじゃないか、って。
でもキセルが欲しがったのは、そんな生易しいものじゃなかった。
シャワーを勧めても、しばらく一人にしてほしいって力なく返されて、だから落ち着くまでは放っておいたほうがいいかなって、お言葉に甘えて先に風呂場で熱い湯に当たると、少しだけ頭がさえた。
温まった体で部屋に戻り、呆まだ然と隅に座っているキセルに声をかける。
「ねえってば、そのままじゃ風邪引くから早く」
そこで言葉が途絶える。手首に深々と切りつける凶器をぼうっと見つめる彼から慌てて取りあげ、弾丸が残っていないか確かめてベッドに放る。
「なにしてんの! こんな」
「だって、だってさ」
もう自分のことが許せなくて、それで、その先が涙でかき消されてしまう。
なんでこんなことしたのさ、ダメだってことくらい自分でもわかってるくせに。ごめんなさいって繰り返し、壊れたみたいに何度も謝り続ける相手に、いいからと手近にあった布で止血をはじめる。
極秘の任務だからマスターは一緒じゃない、だからいつものようにあの不思議な手が、すぐに傷を治してはくれない。周囲に怪しまれる原因になるから、できるだけ無傷での帰還が望ましいって口すっぱく言われるくらいなのに。
しばらく二人とも無言で向き合ってた。真っ赤に腫れあがった目元は、なにか追求したらまた涙で決壊してしまいそうだ。
止血が終わって痛みは大丈夫なのか聞けば、うんと軽い返事だけ戻ってきたけど、また無言に戻る。
放り出していた僕のナイフを取りあげ、キセルの血で汚れた刃をゆっくりと拭き取っていく。こちらを見てごめんねとつぶやくので、悪いと思うならこんなこともうしないでよと疲れた口調で返す。
「せっかく無傷で帰れそうだったのに」
言いわけ考えないとダメでしょと言われて、通り魔にやられたと言うしかないかなあと、他人事のようにつぶやく。そんな言葉で信じてもらえるだろうか、せめて強盗に遭ったくらい言わなきゃダメかも。
「ううん、合ってるよ。魔がさした、ってだけ」
どんなものが通れば、自分の腕を切りつけようなんて思うんだろう。それはキセルにしかわからないんだろうけど。少なくとも、そんなものが入りこむような隙があったってことは間違いない。
血の跡を拭き取って綺麗になりはしたけれど、まだ赤い色が残っているようで心が痛むと同時に、消えなければそれも構わないなんて考えてしまう。
まともに食器として使われやしないんだから、人の血がついたって価値なんて変わりやしない。それに、キセルの中を廻る血が残っているというのは、不謹慎かもしれないけど少しだけ優越感を覚える。彼から流れ出た鉄が、自分の中になんて、妄想にも似たやけっぱちな思想に反吐が出る。
そんな僕をどんな目で見ていたんだろう、そっとベッドに乗りあげて近づくとねえと声をかけられる。
「カトラリーくん、もっと、もっと俺のこと、傷つけてくれない?」
なに言ってるのと聞いた声が喉の奥でパサついた音を立てた。涙混じりに服を引く手は震えてて、罰が欲しいんだと続ける。
「こんなことをして、許されるわけないでしょ。でもみんな、褒めてくれる」
「仕事は、ちゃんとしてるんだから」
その点については誇ってもいいはずだと返すと、緩く首を横に振り、こんなことをして許されるはずがないんだって、また同じことを繰り返す。
本当ならちゃんと罪を償わないといけない。戦争という現状が犯す罪を見えなくしているだけで、本当に必要なのは罰なんだって彼は言った。
「でも、人間の法律なんて、あてにならないよ」
そもそも僕らは人じゃない、心なんてものまで何故か持たされてしまっただけの銃なんだから。銃が人を殺すのはおかしなことじゃない、道具として正しいことだ。なんて屁理屈でも言い聞かせないとやってられないくらい、麻痺してくる。
心を強く持たないと、そう思うんだけど。なんで僕らが耐えなければいけないんだろう。押し潰されそうな罪悪感から救い出してほしいと願うことすら、高貴じゃないと落第の印を打たれてしまうんだろうか。
「ねえカトラリーくん、俺のこと抱いて」
「はあ?」
男同士でなに言ってるのと素っ頓狂な声で返すと、嫌なら無理にはお願いしないからと、弱々しい声で返される。
「誰も嫌だなんて、でもなんで」
「罪悪感が、紛れるかなって」
キセルなりの逃避行動がそれだった。
罰が欲しいというのもあったんだろう、相手が僕である必要すらない、ただ手近にいたから声をかけただけ。そういう現実を突きつけられて、頭の奥が燃えるような怒りで視界真っ赤に染まる。
彼が欲しいのは僕じゃない、ただ罰してくれる痛みが欲しいだけ。沸騰しそうな頭に対して、心は冷静にそんな誘いに引き寄せられてはいけないと言う。これ以上、優しい仲間を傷つけてどうなるっていうんだ、更にボロボロになって涙を見るくらいなら。
「ごめんね、気持ち悪いよね」
ちょっと外出てくるからと歩き出そうとしたキセルの腕を掴んで引き止める。
今ここで止めなかったら、誰ともわからない男にでも抱かれてくるんじゃないかって、それだけは嫌だと思った。
キセルが心から求めて、好きで仕方ない相手なら別に句はない。でも自暴自棄の結果、行きずりの相手にただ欲のまま貪られるのを許せない。
それくらいなら今、奪い去ってしまおう。僕だってご褒美くらい欲しかった。ねぎらいの言葉なんかじゃ物足りないから、疲れた体を癒してほしい。
「いいよ、相手してあげる」
ただ初めてだから、下手でも文句は言わないでよ。そう返せば驚いた顔で、いいのと小声で返された。
いいもなにもしてほしいんでしょ、乗ってあげるんだから、黙って身を任せてくれないかな。
「じゃ、じゃあ……あ、俺もそんな、抱き心地はよくない、と思うけど」
ごめんねと謝る彼を引き寄せてベッドに寝かせて、上に乗りあげる。
お互いに邪魔な服を脱がせて、すっかり裸になるころには理性なんて捨てて自暴自棄になった男が二人、ふしだらなことをしようって悪巧みだけ心の底に共有して、それだけ。
よくないだろうって言ってたけど、全然そんなことなかった。むしろ離したくないと思ってしまった。
ずっと腕の中に閉じこめられたらいいのに、なんてらしくないこと考えたりしてさ。でも全部終わってぐったりしてるキセルの、まだ熱を帯びた甘そうな空気を放つその顔へ唇を寄せたときに、拒否するように手で覆われてしまって、そこで浮かれてた頭が現実に引き戻された。
「ダメだよ、そういうのは……ちゃんと好きな子としなくちゃ」
俺なんかが、それまで奪っちゃダメなんだって。そう言って僕の頭を撫でていく手に、心臓ごと胸を引き裂かれてしまいそうなくらい痛くて、内臓と脳と心がミキサーにでもかけられたみたい。
そのとき初めて、キセルのこと好きだなって気づいて、自分が最低なことをしてしまった、取り返しのつかないことをしてしまったと、後悔した。
もう遅いけど。自分を罰する役割を得た僕をどう足掻いても好きになんてなってもらえないだろう、少なくとも彼が唇を許してくれるわけがない。
顔にかけられた拒絶の手、力は弱くても、拒否する意思はとても高くって。こんなことしなければよかったって、今でも思う。
でも薄汚れた仕事を終えた後、乞い願うように誘いかけるキセルの声と袖を引く手にノーと言えるほど、自分は善人じゃなかった。欲望だけは一丁前に持ち合わせている、だから応えてしまう、罰してほしいという声に。たとえなんの意味もない行動だとしたって、求めてくれるキセルの心を救えるんだって信じて。
そんな自分が嫌いで仕方ない。
ベッドから立ちあがって、キセルのカバンから銃を取り出してみる。骨董品だったけど、持ち主が大事にしていたのか傷なんかは少ないほうだと思う、装飾も綺麗に残ってて、気に入ってると話してた。
吸い口を撫でる指先が熱い。火を入れるのは反対側なのに、彼の口が好んで触れる場所だってだけで、なんでこんなに魅力的なんだろう。同じように触れてみたい、ほんの少しだけなら。
「カトラリーくん」
どうしたのと声をかけられて、ハッとして顔をあげればシャワーを浴びてきたキセルが首を傾げている。ごめん、なんでもないよと隠しても、気持ち悪いことをしてしまったという自覚があるから、目を逸らすしかできない。
「吸ってみたいの?」
「えっと」
「でもマスターから止められてたよね、一応は未成年の体みたいだし」
どんな害があるかわからないし、一番は周りの子が真似しないようにって、と言いながら僕の手から煙管を取りあげる。
「僕だけ置き去りにされてるみたいで、嫌でさ」
体だけで大人じゃないって線引きして、決めつけないでほしかった。そのせいで入れない場所もある、できないこともある。僕に手にできないから彼が背負わされてることもあるはずだ。
さっきまで二人でいけないことをしてたのに、こんなときばっかり子供扱いを受けてしまうのは、本当のことだったとしても腹が立って仕方ない。見えてるのにここから先は立ち入れないって、柵で隔てられてるみたいで嫌だ。
もっと踏み入れてみたい、奥深くまで覗きこんで、触れ合って、溶け合ってしまいたい。
そばにあるキセルを見つめ返し、どうかしたと首を傾げる相手の首筋に唇で触れる。噛みつくまで力はこめず、それでもはっきり歯を立ててしまうとビックリしたように体が震える。
「あ、あの……足りなかった?」
「うん足りない」
それなら先に言ってくれればとつぶやく相手の懐に潜りこんで、そういうことじゃないんだと子供のようにぐずってみる。どうしたらいいと困った声が降ってくるので、このまま一緒に居てと返す。
「それでいいの?」
「他にいらないから」
嫌いかもしれないけど、僕にもご褒美がほしい。
甘えるように縋りつけば、こんなことでいいんならいくらでもと言ってくれる。それが嬉しいけど、反面で悲しくなる。
少しでも心に留め置いている相手には、情けと優しさを注いでくれそうな気がして、でも独り占めしたいという我儘を言えない以上、今ここで満足しないと。
キセルは優しいから。僕が好きだって伝たら、拒否せず受け入れてくれるんだろうけど、そんなのただの同情だ。
思ってる以上に欲張りな性質なんだって思い知らされる、海賊の魂がそうさせてるのか、知らないけど。もしも過去の持ち主の誰かが影響してるなら、そいつのことを恨んでやろう。
なんでもっと大人になれなかったんだ、その場の欲に突っ走ってしまうような性格なんて、嵐に流されてしまえばよかった。
抱き締めてくれる腕の中で、いつ幕切れを言い出そうかを考える。でも少なくとも今夜はまだ無理そう。
せめて戦いの結末が見通せるところまで来たなら、彼が罰を必要しなくても過ごせるようになったら、もうこんなことしなくてもいいよって、安心して眠れるようになったら、そのときこそは言い出そう。
昨年12月にリクエストいただいて、完成まで時間をそこそこかかってしまいました。
一応、キセルくん視点もまだ考えてたのですが、現在四月のオンリーに向けて原稿に着手しておりまして、色々と時間が必要な感じですので……もうしばしお待ちください。
今まで人様と合作というのをしたことがなかったので、今回お声がけいただきまして本当に楽しかったです。
イヌさんありがとうございます。
2020年1月20日 pixivより再掲