そして鳥は戻る
静かなピアノの音色が流れ出てくる部屋のドアを開けると、ドアを挟んで抑えられてた音が全身を包みこんでくる。中心で気分よう演奏しているミカエラはこっちを気にすることなく、かわりに部屋の隅に腰かけていた相手が顔をあげた。
ガスマスクに覆われていても、頭の先からつま先まで自分が用意した服に身を包んでいる以上、間違えるはずもない。
ようやくみつけたと安心すると、悪いが閉めてくれないかいと演奏する手は止めずに声をかけられる。
「なにやら繊細な作業をしているので、演奏は控えろと言われてね」
僕の知ったことではないが、こうしていい状態でピアノを用意されて、好きに弾いていていいと言われたのだから反発する理由もなかったのだという。
「そうか」
ドアを閉めミカエラではなく、端に座っているキセルくんに探してたんやでと声をかける。
「あ、ごめんね」
「今回はまあ、害のない相手やからええけど。変なのに捕まったらどないなってたか……」
ワイがおらん間ずっと部屋に閉じこもってるのも暇やろうし、城内を自由に歩いていいって許可もろたはええけど、おらんかったらそれはそれで心配になる。
窓開けた瞬間に、お気に入りの鳥が飛んでったみたいな気分や。
「なんでここに?」
「綺麗な音が聞こえてきたから」
中庭を散歩してて、でも人がいっぱいで、だんだん心細くなってきて、綺麗なピアノが聞こえて、なんだか落ち着いたからのぞいてみたんだと言う。それからこれはお土産だと椅子に置いていた籠を取り出す。庭師が前に手伝ってくれたお礼にってわけてくれたっていう花と、ゴースト様にって持たされたお菓子だとかなんだとか、色々と理由つけられてるけど、それ多分きみにあげるために用意したもんやろな。
兵士でも使用人でも、困ってる人を見て放っておけばいいのに、見兼ねると手伝うというのがこの子の性分らしい。それが当たり前っていう感覚なんかもしれんけど、ようわからんわ、なんでそこまで人に尽くせるんか。
「彼が、きみの部屋の同居人かい」
演奏の手を止めて、こちらに質問を投げかけてくる相手に、そうやと返す。
「すまんなあ、邪魔したみたいで」
「別に邪魔ではなかったよ、きみが来るまでそこでずっと静かに聴いていてくれたからね」
他の兵士や下手に褒めそやかす連中とは違って、単純に気に入って聴いてくれているのがわかったよ。そもそも、音楽には心を落ち着かせる作用もあるしねといつも通り、音楽にだけは饒舌に語ってくれる。
「見ない顔だったけど、この城内にいるんなら、敵ではないとみなしてたんだけど。そうか、きみが古銃のね」
どこかで会ったかなとたずねる相手の声に、ビクリと震えてワイの服の袖を掴む。急にスイッチが入ったように緊張感を持って見返す相手にかわって、もし会ったこと会ったらどうするんとたずねる。
「別にどうもしないよ。ここにいることが認められている以上は、利用価値があるとみなされたんだろう。それをどうこう口出す必要もないしね。ああ、きみの趣味がそこまで悪くない、ということだけはわかったよ」
「なんやそれ、嫌味かいな」
「褒めてるんだよ。僕には骨董趣味はないが、美を見定める審美眼くらい人並みに備えてるとも。気に入ったのなら、また聴きに来たらいい」
邪魔しないのならそれくらいは許すさと言うミカエラに、ありがとうございますと小声で返す。行こかと手を差し出すと、素直に立ち上がってしっかりと重ねられる。こっちに興味がなくなったらしい相手はまたピアノを演奏し始め、特に引き止められることもなく部屋を出た。
「ごめんね、探し回ってくれたんでしょ」
「まあな。自分ほんま神出鬼没すぎん?」
部屋から随分と遠くまで歩いて来たなと言うと、声かけられるからついとちいさな声で返す。ガスマスク越しやし、その表情がどんなもんか知らんけど、困ったように笑ってんやろな。
「お人好しすぎんのも、いい加減にしいや」
「そんなつもり、ないんだけどな」
だからこそたちが悪いんよ、本人に自覚ないからつけ入られんねん。ええように利用されたりせんかな、なんて考えてしまうんやけど。それ言うなら、自分が一番そこにつけ込んだからな。
懐に入れたもんには優しい、優しすぎるくらいに、いっそ残酷なまでのお人好し。さぞかし、レジスタンスでもかき乱してたんちゃうか。それとも、古銃っていうんは全員そんなくらいお人好しなんか、そんなわけないわな。敵のどたま撃ち抜こうって奴が。
部屋に戻って来てガスマスクを外すと、大きく息を吐き出す。だいぶんと身につけるのにも慣れたはずなんやけど、どうしても堅苦しくてと呟く。
「そうだ、半分くらいあげちゃったんだけど、これ」
彼への貢ぎ物だろう焼き菓子を差し出されて、誰からもらったんとたずねる。
「あ、えっと。兵士の人だったんだけど、顔までは」
一般兵ってほとんど格好同じやからな、マスク外さな見分けはつかんか。所属調べてあとで問いただしたいところやけど、ゴーストさんにって言われてたのにごめんねと呟く。
「半分あげたのんって、もしかして緑の髪二つに結んだちょこちょこ動き回る、無口な現代銃?」
「多分その人、だと思う」
「ナインティっていうねん、まあ食べ物には目がないから、持ってたら基本片っ端から食い尽くしていくんやけど、半分も残ってるなんて充分やわ」
あげたってことは、奪い取らずにわけてもろたんやろな。どういう心境の変化でそうしたんか知らんけど、大事な人にあげる物だから全部はあげれないんだと言ったんだ、と笑う。
「食べ物のプレゼント、なら仕方ない……みたいなことを、看板に書いて、兵士の人に連れて行かれたけど」
「さよか、まあ食べ物以外ではそれほど害はないけど。キセルくん、意外と肝太いな」
幹部と会ってここまでケロッとしてる奴が珍しいだけやけど、ミカエラにしろナインティにしろ、この子に絆されたとこがあるんやろ。
いい奴か、気緩みすぎてへん。自分が懐柔した言うても、この子は。
「ゴーストさん?」
「ごめんなあ、やっぱ心配やし、できるだけ部屋におってくれるほうが助かるわ」
探し回るの一苦労やし、行く場所くらいメモに残して出て行ってなと頭を撫でてお願いすれば、わかったと微笑み頷き返す。
「せっかくやし、いただこうか」
声をかけるとじゃあお茶淹れるねと、お茶の用意をしてくれる。疲れてるだろうし、待っててねと声をかけられるので、それなら一発で治る方法あるわと後ろから抱き締めるとわっと声があがる。
「どうしたの?」
「んー、きみがおれば元気になるんよ。知ってるやろ」
補充してんねんと言うと、甘えてるの違いじゃないかなと呆れた口調で返される。なんぼでも好きに言えばええわ。
外を歩いてなにをしていたのか知らんけど、少なくとも自分のように火薬の臭いはしない。煙草と花と、お日様の匂いってやつやろうか。あったかい香りが残ってる。
「キセルくんは、お日様好き?」
「天気がいいのは、好きかな。前に喫茶店一緒に行った時も、天気よかったもんね」
「せやなあ。あっ、季節限定のアイス、ちょうど入れ替えの時期やわ。また一緒に行けへん?」
「うん、行きたい」
擦りよせた頭を撫でられて、もっとしてくれっておねだりすれば、あとでゆっくりねと返される。
「ほら、もうすぐできるから」
「なら別にええやん、このままでも」
動きにくいよと文句を言う相手に引きずられるようにテーブルまでついて行くと、隣あって腰かけ、首筋にまた擦り寄る。
「ゴーストさん?」
「他の奴らにほいほいついて行って。もっとワイに構ってくれな、また部屋に繋ぐで」
「そんなこと言われても……別に、そうしたいなら。俺は、繋がれててもいいんだけど」
へえ意外、そんな趣味あったんや。
「え、なに?」
「なんでもない、冷める前にいただこうか」
腑に落ちてないって顔に出てるけど、お茶をカップに注いで貰ってきたクッキー摘むと口元へと差し出してくれる。こんなんで許したるつもりはないんやけど、好意には甘えておこか。
それに悔しいけど、きみから太陽の匂いがするのは嫌いやないねん。
できれば誰にも見せたないって思うけど、優しくて甘い、心の落ち着く香りをまとってそれでも、この檻の中に戻ってくるのが、なんやえらい可愛いなって思ってしまうんよ。
繋いでおくのは簡単なんやけど、きみが戻ってくるっていうことに安心したいのはある。
太陽に向かって飛び立って、二度と戻ってこんことがないようにって願ってる。
この手から逃げて行かんように、もっと調教したろか。でもな、そうしたらこんな優しく笑ってくれることもなくなりそうやし。
この手の届く範囲内でなら、自由に振舞ってほしいんよ。それが彼の持つ魅力を引き出させてるなら余計に。
「きみってズルいわ」
「え、なんでそんな」
「わからんのやったらええんよ」
狂わされてることに悩むのは、もう覚悟してるからなあ。逃げ出したりせんように、フラフラと出て行って迷子になってしまわんように、よう捕まえておかな。
さて、どうやってワイのことを刻みつけたろか。
「ゴーストさん、あの悪い顔してるけど?」
「気にせんとき、いつものことや」
そうやと思い出したように口にする。
「探し回ったぶん。きみのこともあとで味あわせてもらうで」
「へ、えっ……あっ、うう……」
逃げへんよねと念押しすると、わかったと小声で返される。
そういうとこやよ、心配になんの。
葵の脳内会議で「キセルくんを動物に例えるならなんですか」といろんなかたに聞いて見たんですが。
大体が「猫」って返ってくる中、ゴーストくんだけ「鳥」って返ってきたんです。
彼にとって、そう見えてたらいいなと思っています。
2019年4月17日 pixivより再掲